ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (22) ホラズム・シャー VS チンギス・カン

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「ホラズム・シャー VS チンギス・カン」。







さて、
今回から、
チンギス・カンが登場。








世界史なんて知らないよとおっしゃる方でも、
さすがに、
チンギス・カンの名前はご存じだと思うけど、








例えば、
ジンギスカン料理とか。








でも、
今、ちょっとググってみたら、
ジンギスカン料理って、
チンギス・カン様とは何の関係もないらしく、
日本産の料理なんだって・・・









なんでも、
源義経が北海道からモンゴルに渡り、
チンギス・カンになったという伝説に基づいているとか・・・









源義経は1159生−1189没、
チンギス・カンは1162生−1227没なので、
年代的にこの伝説にはムリがありますね、








義経が死んだ年、
チンギス・カンはすでに27歳だし・・・








てゆーか、
義経チンギス・カンでは、
スケールが全然ちがう気が・・・









チンギス・カンなら、
兄弟間の因縁で、
一生を棒にふったりしないです、たぶん・・・










・・・


さて、
エピソードてんこ盛り、
どこからどう語っていいのやらというチンギス・カンなんだけれども、











まず最初に、
おおまかな人物像を把握するため、
山川出版社の世界史用語集を見てみると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

チンギス・カン 1162−1227。モンゴル帝国の建国者(在位1206−27)。早くして父を失い苦境におちいったが、その後全モンゴル部族を統一し、1206年、クリルタイチンギス・カンの称号を得た。西夏・金を攻撃し、ホラズムを征服して、中央アジアから南ロシアを含む大国家を形成した。その後、西夏遠征の途上で病死した>








要するに、
ケンカに強く、
人望に厚く、
いち早くグローバリゼーションを成し遂げた偉大な人物なんだけど、










まずは、
前回ご紹介したホラズム・シャー朝を→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (21) ホラズム・シャー朝 - Victoriaの日記
どうやってやっつけたのかという話から始めます。









・・・

チンギス・カンが誕生したのは、
1206年のクリルタイ








チンギス・カンの幼名は、
テムジンといい、
クリルタイというモンゴルの最高意思決定機関で、
チンギス・カンの称号を得た。









ちなみに、
クリルタイの伝統は、
今でもアフガニスタンの国会に残っているという。










それで、
テムジンがチンギス・カンになった1206年以降、
次々と近隣諸国に攻め入り、
モンゴル帝国を拡張していくわけなんだけど、










モンゴル民族がモンゴル高原を統一するのは、
ウイグル以来、実に350年ぶり、








ウイグル(744−840)の興亡についてはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (12) 安史の乱とアッバース革命を結ぶ道 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (24) 隋唐世界帝国崩壊への道 - Victoriaの日記








万里の長城を超えて、
中国に攻め入ってくるモンゴルに恐れをなした金は、
1214年、
首都を燕京(現在の北京)から開封河南省)へ遷都、







しかし、
1234年、
チンギス・カンの三男、
オゴタイ・カンによって滅ぼされている。









このようにして、
まず、
邪魔な金を滅ぼし、
ホラズム・シャーと戦う力をたくわえたチンギス・カンは、
いよいよ西へ向かって、
大征服事業に乗り出す。










1218年、
ホラズム・シャーをつぶすタイミングを見計らっていたチンギス・カンにとって、
絶好のチャンスがやってきた。









チンギスがホラズム・シャー朝に派遣した使節団400人が、
皆殺しにされてしまったのである。










ホラズム・シャー朝側が、
使節団を密偵であると疑って、
全員殺害してしまったもので、









当然、
事件の一報を受けたチンギス・カンは激怒、
ホラズム・シャーへの復讐と称して、
20万の軍を率いて攻め込み、
1221年、
あっけなく首都ウルゲンチは陥落、
ホラズム・シャー朝は事実上、崩壊する。








ただ、
この使節団、
ホントに密偵だったんじゃないの?という説もあり、
もともとつけいるスキをねらっていたチンギスが、
大義名分としてうまく利用したんだとしても、
全然驚かない・・・というか、そのほうがおもしろいよね・・・(陰謀説大好き❤)。










当時のGDPで比較すると、
ホラズム・シャー : モンゴル = 6 : 4 
やや、ホラズム・シャーのほうが優位にたっていたが、









モンゴル軍をあざけったホラズム・シャー軍は、
敵をおびきよせようと、
引いた布陣を敷いたところ、
あっという間に攻め込まれ、
たった2年で崩壊、










相撲では、
ぶつかった時に引いてしまうとそのままずるずると土俵を割ってしまうものだが、
戦争の布陣でも同じ事がいえるという見本のような戦いぶりだった。









1225年まで大遠征を行ったチンギス・カンは、
帰国すると、
広大になった領土を分割、








子どもたちが成人した順番に、
遠いところへ派遣するという遊牧民族のおきてに従い、
ロシアの広大な土地を長男のジュチ、
中央アジアを次男チャガタイ
西モンゴルを三男オゴタイ、
本拠地モンゴル高原は、末子相続により四男トゥルイに与えられることになっていた。










それを地図上に表してみたのが、
これです。









前回、
ものすごくテキトーな図を載せましたが、

さすがにこれでは自分でもよくわからないので、
世界史資料集の地図を写しました。










今になって気づいたんだけど、
この図は、
今回の講義で、
出口社長が唯一板書なさったんですね。









あれを写メしておけばよかった・・・








次回からは、
板書は写メしよう・・・メモメモ・・・








今回の図もあまり自信はないんですが、
分割されたハン国の位置関係と面積のだいたいの目安は、
こんな感じだと把握していただいてよろしいのではないかと思います。








バージョンアップしたら、
また再度アップします。











それにしても、
遊牧民族が末子相続をしているというのは、
なかなか興味深いと思いました。









独立した子どもから、
順番に財産を分割していく制度は、
「財産=家畜」である遊牧民族だからこそできることで、
「財産=土地」だったらこうはならないんじゃないか、









だって、
親が生きてるうちに、
土地をどんどん分割していったら、
最後にはオヤジの手元には細切れの土地しか残らなくなるから。










一夫多妻の遊牧社会では、
長子相続にしてしまうと、
子どもが妻の前のダンナとの間の子どもである確率が高くなるため、
末子相続にしているのだという説もあり、
なるほどね〜と思いました。








つまり、
戦に勝つと、
土地だけでなく妻も略奪できたわけだから、
そうすると、
略奪した時点でお腹の中に前のダンナのタネが入ってる場合もあるってことなんじゃないかと、
Victoria勝手に想像したんだけど、
昔から、
子どもがホンマにオレの子か?っていうのは、
みんな、ホントに神経質になっていたのね・・・









男はつらいぜ・・・










遊牧民族は、
女性の地位が高いことも特徴的なんだけど、
「財産=土地」ではない社会では、
相続の考え方を始め、
社会全体の制度設計が全然ちがうコンセプトでされているようで、
興味深いことが盛りだくさん、
出口社長がモンゴルはおもしろいっておっしゃる意味が、
だんだんわかってきた気がします。








思ったんだけど、
末子相続って、
オレが末子だぜ、と思っていても、
後から弟が生まれてお兄ちゃんになってしまう可能性はいつだってあるわけだから、
オヤジが生きてピンピンしてて、
女の人と元気にナニしてる間は、
息子たるもの、
いつでも独立してやっていける力をつけておかなかければならなかったんじゃなかろうか、









生まれた時から、
お兄ちゃんが相続するって決まってて、
どーせ次男のオレに出る幕はねーよ・・・なんて序列が固定している社会とは、
何か違うんじゃないか、









全体的に、
遊牧社会は、
すべてにおいてオープンで、
実力主義な気がするんだけど、









そのあたりの謎も、
今回の講義録で、解明できれば・・・と思います。












Victoriaでした。


・・・


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