ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (31) リーグニッツ(ワールシュタット)の戦い

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「リーグニッツ(ワールシュタット)の戦い」。








1236年から42年にかけて、
ウゲデイの命令で、
バトゥ(フビライ・カンの長男ジュチの息子)が総司令官となり、
西征(ヨーロッパ遠征)が大々的に行われた。










爆発的なエネルギーを持つモンゴル帝国が、
どんどん西へと攻めていき、
ついには神聖ローマ帝国との国境付近=ポーランドハンガリーまで到達してしまったわけで、









まずは、
どこらへんまで攻めて行ったかを、
地図でお示ししましょう。

太い赤字の矢印が、
バトゥの西征の到達点です。









実は、
モンゴル軍が、
ポーランドの西端、
ほとんどドイツとの国境付近まで攻めていたなんて、
今回初めて知って驚いたんだけど、










ポーランドって、
結構な苦難の歴史を持つ国で、









というのは、
ロシアとドイツという、
二つのケンカに強い大国にはさまれていて、











しかも、
ポーランドに行ってみるとよくわかるんだけど、









真っ平らな平原が広がっていて、
西からでも東からでも、
攻めて来られたら、
さえぎる物(山とか)がないので、
イチコロなのね。









それで、
モンゴル軍がどこらへんまで行ったか調べてみると、
ヴロツワフ
ヴロツワフはここです。

お絵かき挫折したので、
帝国書院さまの地図拝借しております。

ポーランドの西の方、
オドラ川沿いの街です。










モンゴル軍は、
このあたりに1241年3月に攻め入っているんだけど、










3月といえば、
ポーランドにしろ、ハンガリーにしろ、
まだ寒い時期のはず、









ロシアとバルト海から、
寒波がもろ直撃って感じで、










そんな時期に、
モンゴル軍がどんどん川に入って、
泳いで渡って攻めて来たっていうんだから、










ドイツ・ポーランド連合軍(てゆーか、
ドイツとポーランドが味方としていっしょに戦ってた時期もあったんだっていうのも、
また驚き・・・)は、
全く太刀打ちできず、
惨敗したっていうのは、
よくわかる気がする。










調べてみると、
ほとんど一網打尽にされてて、
ポーランド軍のほうは、
大将から皆殺しになってる。








リーグニッツの戦いでいえば、
兵力だけ見ると、
ドイツ・ポーランド軍 2万5千人 VS モンゴル軍 2万人
なので、
互角なんだけど、









戦い方が、
モンゴル軍の方が、
圧倒的にうまく、










当時、
ヨーロッパ軍の戦い方は、
とにかく敵の陣地の真ん中にだだーっと攻め入って猛攻撃を加えるって感じだったらしいけど、
モンゴル軍は、
いったん、退却するとみせかけて敵を味方の陣地の奥深くまで誘い込み、
うわーっと背後から攻撃する方式で、








しかも、
敵の背後から煙幕をたいて、
アワ食ってパニックになった敵が右往左往してるところを、
コテンパンにやっつけたらしい。










それだけじゃなくて、
たぶん、
体のつくりから違ったんじゃないかと思うんだけど、











やっぱり、
赤身の肉と乳製品たらふく食って、
ステップ(草原)を走り回って育った男子は、
畑耕してる人間とはモノが違うんじゃないか・・・いろいろな面で・・・










ここらへんを調べてると、
圧倒的な強さで誰も寄せ付けなかった朝青龍を思い出す・・・










それで、
このまま行けば、
大西洋にまで届くかと思われたモンゴル軍、
ポーランドハンガリーを打ちのめした後、
あっさり撤退していくんだけど、








なぜ?









大将のウゲデイが死んだ・・・










大将が死んじゃったら、
次の大将決めなきゃならんということで、









モンゴル軍の幹部(チンギス・カンの子孫たち)は、
クリルタイ(会議)があるからと、
さっさと馬を返して、
カラコルムへ帰って行きましたとさ・・・









おかげで、
ヨーロッパは救われて、
ほっと一息なんだけど、








この戦いのてんまつは、
尾ひれがついて、
ヨーロッパでは語り伝えられ、










大将含めて一網打尽、
一夜にして街がなくなった、とか、
そんな負け方したら、
トラウマになるのも当然だけど、











ことさらに、
モンゴルの野蛮さを強調して語り伝えたフシがあり、












実際のところ、ウソ八百、が多いそうな・・・










おもしろいのは、
ヨーロッパ側は、
言葉を尽くしていかにモンゴル軍が残虐だったかってことを、
強調しまくってるんだけど、









モンゴル軍にとっては、
数ある戦いのひとつにすぎず、









リーグニッツの戦い?
あんなの、ほとんど意味のない小競り合いだぜ・・・ったく、
勘弁してよ・・・










異民族に襲われると、
ことさらに敵の残虐さを強調して、
歴史を語り伝えるというのは、
ヨーロッパのクセなのか、
同じようなことは、
トゥール・ポワティエ間の戦いでも起こっていて、








これは、
732年、
イベリア半島からフランク領内に進撃したウマイヤ朝(イスラム教徒)の軍隊を、
カール・マルテル率いるフランク軍がやっつけたという武勇伝で、
異民族を蹴散らしてやったぜ!
とテンションが上がるのはわかるけど、







実際よりも、
勝ったヨーロッパがことさらに強く、
描かれており、











歴史というのは、
イデオロギーを色濃く反映するものなので、
歴史を改ざんするとかそういうことではなく、
立場が違えば、
見えてくる風景もまた全然ちがうということだと思うんだけど、









ちなみに、
リーグニッツの戦いの名称なんだけど、
リーグニッツとは主戦場の地名(ドイツ語)で、
ワールシュタットの戦いとも呼ばれ、








ワールシュタットとはドイツ語で「死体の山」を意味するそうで、










戦いの名称にもイデオロギーの香りがプンプンと・・・













Victoriaでした。



・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記











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