ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (32) 第3代皇帝グユク即位と暗殺の真相(華麗なるチンギス・カン一族の跡目争い)←ドロドロだからぜひ読んでね♪

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、「第3代皇帝グユク即位と暗殺の真相(華麗なるチンギス・カン一族の跡目争い)」。








さて、
今回はこの講義録第2の山場。
(第1の山場はこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (14) 第5回十字軍 フェデリーコ2世とアル・カーミルの友情 (フェデリーコ2世について簡単に知りたい方必読。これさえ読めば一発でわかるよ♪) - Victoriaの日記
モンゴル帝国第2代皇帝ウゲデイの急死をうけて、
第3代皇帝にグユクが即位し、
あっという間に死んでしまうまでのいきさつ、
題して、









<華麗なるチンギス・カン一族の跡目争い>










モンゴル軍が、
ポーランドハンガリーまで攻め入っていたという驚愕の事実については、
前回見た通り→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (31) リーグニッツ(ワールシュタット)の戦い - Victoriaの日記












なぜ、
ユーラシア大陸のほぼ端から端までを征服するなどという、
とんでもないことができたかというと、









モンゴル帝国建国者チンギス・カンの4人の息子たちが、
全員、優秀だったから。








一族の黄金期ってこういうものなのかと、
子どもや孫に優秀なヤツがわらわらと出てくる家系図を見ていて感嘆、








奥さん、
男の子は、
わんぱくに育てないとダメです・・・









ひと目でみてパッとわかる家系図ないかと思って探してみたんだけど、
なかったので、
作ってみました。


消したり書いたりを繰り返したので、
えらいこと汚れてますが、
おそらく、
これで間違ってないと思います。










出口社長、
もしも間違いありましたら、
ご指摘いただきますよう、
お願い申し上げます。










チンギス・カンは、
歴史上、最も多く子孫を残した男なので→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (25) モンゴル帝国第2代皇帝ウゲデイ(=オゴデイ、あるいはオゴタイとも読む) - Victoriaの日記
子どもは書き切れないくらいいっぱいいるのだが、
大将クラスの主だったメンバーは、
この図の通りだと思っていただいてよろしいかと思います。









それで、
まず、
ウゲデイが急死したてんまつなんですが、
それはすでに触れているのでこちらをご覧ください→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (27) バトゥ大西征 - Victoriaの日記








死因は、







酒の飲み過ぎ。









酒をセーブしていれば、
もっと長生きしたのかもしれないが、









健康のために、
酒をガマンするようなタマでは、
おそらく天下を取れなかったであろうことを考えると、
ある意味、
これも職業病?










・・・


それで、
遠征中の大宴会で酒食らって寝落ちした大将が、
起きてこない=死んでたという大事件に遭遇したモンゴル軍、








次の皇帝を誰にするか決めないといけないわけだけど、









ウゲデイ自身は、
まだ死ぬとは思っていなかったので、
後継者の指名をしていなかった。









よくありますよね、
やり手の社長が急死して、
跡取り息子はまだ若すぎるし、
かといって、
幹部連中の誰かが急きょ社長になるとしても、
これといった決め手がなくて、
右往左往するっていう事態・・・








モンゴル帝国もそんな感じで、
ウゲデイは早死してしまった三男の息子シレムンをかわいがっていたんだけれども、
まだ成人していなかったし、
シレムンじゃなかったら、
トゥルイ家のモンケがいいなと思っていたらしいけど、
皇后ドレゲネが息子のグユクをムリムリにねじこんで、
まんまと第3代皇帝にしてしまった。








ここんとこ、
めちゃくちゃドロドロしてておもしろいので、
正月返上で調べてみました。
長くなるけど、
これはぜひ、
ご紹介したいと思うので、
このまま続けさせていただくと、









まず、
なぜ第2代皇帝ウゲデイが、
自分の息子グユクを後継者から外していたかということを見てみると、










グユクは長男だったので、
遊牧民族は末子相続だから、
そもそも相続は難しかったというハンディに加えて、









グユクはいとこのバトゥと、
大変仲が悪く、
チャガタイ家の息子ブリも、
バトゥと仲が悪かったんだけども、
酒の席で、
この二人(グユク+ブリ)がバトゥとケンカしてしまって、









それで、
バトゥというのは、
西征(ヨーロッパ遠征)の総司令だから、
とてもエライ人なわけ。









グユクがいくら皇帝の息子だからといって、
軍をたばねる総司令に刃向かうというのは、
たとえ酒の席であっても許されることではない。








そんな息子の性格を知った父ウゲデイは、
グユクは後継者にふさわしくないと判断して、
モンゴルへ帰還命令を出し、
トゥルイの息子モンケがお目付役となって、
グユクは帰途についた、









が、しかし、









なんと、
父の命令ですごすごと国に帰る途中で、
父が急死したとの知らせが届く。







大遠征中に皇帝が死んでしまって、
モンゴル帝国にとってはアンラッキーだったけど、
グユクにとってはラッキーで、










なんといっても、
最大の敵バトゥは、
モンゴルからはるかかなたのヨーロッパに遠征中だし、








自分は、
謹慎命令が出たからとはいえ、
一番、本国に近い場所にいたわけだ。








モンゴル帝国では、
後継者選びはクリルタイという一族全員が集まってする会議で決めるならわしだが、
とりあえず、
ウゲデイのお后、皇后ドレゲネが摂政の座についた。










このドレゲネという人が、
相当なタマで、









遊牧民族は、
総じて女性の地位が高いのだけど、
この方はホントに有能で、










もともとは、
ウゲデイの第6皇后で、
たいして権力を持っていなかったんだけど、









夫の死に前後して、
他の皇后たちがバタバタと死亡(自然死なのかしらね?とか、疑ってみるVictoria・・・)、
気づけば、
摂政のお鉢が回ってきて、








統治能力はそんな高くなかったみたいだけど、
政治能力に長けていて、







自分の息子グユクを次期皇帝にしようと、
ものすごい根回しを始めた。









何と引き替えに、
息子を推してくれるよう頼んだのか、
そこが知りたいのだが、
(今回、そこまで調べがつきませんでした・・・)










やっぱり、
ポストかしらね?
グユクが皇帝になった暁には、
入閣させてあげるから、とかなんとか・・・









ウゲデイの死後、
皇后ドレゲネは、
側近の首を次々切って、
イスラム商人アブドゥッラフマーンに、
国の財政をまかせているんだけど、








アブドゥッラフマーンは、
国の歳入を倍増するなど、
それなりに業績をあげているのだが、
調べてみると、
どうやら中国人からたっぷり税金をしぼりとった結果、
税収が上がったということらしく、
当然、彼の施策は不人気で、
嫌われまくったあげく、
最後は死刑に・・・お気の毒・・・








なんだか、
ずいぶんと、
皇后ドレゲネの覚えがめでたいようなので、
この二人(アブドゥッラフマーンとドレゲネ)、
できてるんじゃないかと思ってリサーチしたけど、
そういう事実は出て来ず・・・残念・・・










遊牧民族は、
女性も強いということなので、
そっち方面も女性はお盛んだったのかと思って期待したんだけれども、










ちなみに、
Victoriaの定義では、







女性が強い=熟女(もはや男に選ばれなくなった年増という意味)が、好きな男を身辺にはべらす自由を持つ








ということですので、
ここはぜひ、
ドレゲネ様に、
夫の死後、
はじけていていただきたかったです・・・









・・・

話戻して、










皇后ドレゲネは、
息子が即位するのを見届けて2ヶ月後、
亡くなっており、










これはもう、
執念というしかない、








ちなみに、
ウゲデイの死から、
グユクの即位まで、
もめにもめたものだから、
5年かかってます。










晴れて第3代皇帝になったグユクは、
父の遺志を継いで、
西征を再開するんだけれども、








その途上で急死、









おそらく、
天敵バトゥによる暗殺だろうと言われていて、









てゆーか、
そもそもグユクが遠征した目的が、
バトゥを殺すためだったんじゃないかという説もあり、










どっちかがどっちかを殺さない限り、
この二人のケンカは決着しなかったんじゃないか・・・









だいたい、
後継者が5年も決まらず、
空位のままという事態をまねいたのは、
バトゥがモンケを推して譲らなかったからで、









グユクを正式に選ぶクリルタイには、
一族のエライ面々がそろい踏みしたのに、
最有力者のバトゥは、









ゴメン、オレ、体調不良だから、休むわ・・・










と言って欠席している。











13世紀のモンゴル帝国でも、
出たくない会議に欠席する理由は、
体調不良なんですね・・・











ここまでの人物相関図を、
さきほどの家系図でもう一度みてみましょう。

関係者だけ、
赤字でマークしてます。










跡目争いで、
親子兄弟が殺し合いをするのは、
古今東西どこでも共通、









イギリスの王室に比べれば、
モンゴルは平和な方なんじゃないかと思うけど、










たぶん、
その理由は、










イギリスは、
狭い国土で、
領土のぶんどり合戦してたわけだけど、










モンゴルは、
領土はどんどん取りにいけばいいから、










本家の相続できなくても、
分家していって、
それぞれが大将におさまることができ、










兄弟げんかするよりも、
ふだんはすみわけして、
対外的に戦う時だけ結束するほうが、
合理的だったからだと思う。











・・・ということで、本日の結論 :








グローバリゼーションは家内安全の秘訣。









ムダに一族内部で殺し合いする代わりに、
外へ出て行けばいいわけだから・・・










Victoriaでした。


・・・

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記







ライフネット生命保険
生命保険