ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (30) ネヴァ川の戦いとタタールのくびき

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「ネヴァ川の戦いとタタールのくびき」。






1240年、
キエフの戦いでモンゴル軍が勝利、
キエフが陥落、消滅したことは前回見たとおり→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (29) モンゴル帝国軍の強さの秘密 ウルス - Victoriaの日記








同じ年、
ネヴァ川の戦いというのがあった。









ネヴァ川は、
ロシアのサンクトペテルブルク市内を流れ、
フィンランド湾に注ぐ川で、









この川をめぐって、
スウェーデン軍がノヴゴロド公国に攻めて来た(北方十字軍と呼ばれている)。









ノヴゴロド公国というのは、
山川出版社の世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

ノヴゴロド公国 : 862年、ヴァイキングの首長リューリクが配下のルーシ族とノヴゴロドを中心に建てた商業都市国家で、ロシア建国の始めとされる。










つまり、
ヨーロッパのカトリックの軍隊が、
バルト海沿岸の正教会地域に攻めて来たわけだが、







この時、
スウェーデン軍を蹴散らし、
見事、ロシアを守ったのが、
ノヴゴロド公、アレクサンドル・ネフスキー











ネヴァ川の戦いで勝って英雄となったアレクサンドル公は、
以後、
「ネヴァ川の勝利者」という意味の「ネフスキー」という名で呼ばれるようになった。









この戦いで、
アレクサンドル・ネフスキーは、
わずかな兵力で大勝しているが、
その理由は、











モンゴル軍のバックアップがあったから。










ちょっとここで、
チンギス・カン一族の勢力図をおさらいしてみましょう。

毎度、
フリーハンドのよくわからない図で申し訳ない。









ちょうどぴったりの地図って、
なかなか資料集探しても載ってないので、









こういう時、
絵心があればどんだけラクチンだったか・・・










とりあえず、
ノヴゴロドが、
キプチャク・ハン国のはじっこの方に位置することがわかっていただければいいんですが、









要するに、
西を見ればカトリックの強国、
東をみればモンゴル帝国っていう、
二つのデカい勢力に挟まれる場所にいたわけです。









こういう時、
賢い選択は、
たぶん、
より強い方にすりより、
手下にしてもらうことによって、
守ってもらう・・・ってことだと思うんですね。










それで、
ノヴゴロド公が選んだ道は、
ジョチ・ウルスの家来になることで、










そうすることで、
モンゴル軍の侵攻とそれによる国家の荒廃を防ぐことに成功したんだけど、










だって、
おとなりのキエフじゃ、
モンゴル軍に抵抗したばっかりに、
女子どもを含め皆殺しにあい、
骸骨のころがる廃村になってしまったわけだから、
誰だって、
モンゴル軍の支配下に入るほうを選択するんじゃないかと思うけど、











ただ、
以後200年間、
ルーシ(ロシア)はモンゴルに服属し、
守ってもらうかわりに、
高い税金を納めることを余儀なくされた。










このことを、
タタールのくびき」といい、
ロシア人にとっては屈辱的な歴史である。











しかし、
実際は、
モンゴル軍に納めるから税金よこせといって、
人民からお金をしぼりとって横取りしていたのはロシア人だったという説もあり、













モンゴル人は、
昔から、
異民族に対しては寛容で、
宗教の自由も認めていたし、
遊牧民の彼らは、
定住して農耕民族に成り下がると軍事的に弱体化してしまうといって、
征服地については、
あくまで間接統治を行ったので、











ロシア人が主張するような、
過酷な支配というのは、
なかったのではないかと思われる。









モンゴル人は駅伝制度を作ったことで有名だが、
この制度はロシアにも取り入れられた。











その他にも、
モンゴルの影響は、
ロシアの随所でみられ、










200年もいたんだから当然だけど、










スペインにイスラムの影響が色濃く残っているのと同じく、
ロシアにもタタール=モンゴルの影響が、
それと気づかないレベルにまで残っているんじゃないかと思う。








歴史って、
ホント、
奥が深いね・・・






Victoriaでした。


・・・


追記


出口社長より、以下の補足コメントいただきましたので、
ご紹介します。





出口社長、
ありがとうございます。










>>モンゴルの影響の顕著な例の一つが白ロシア。中国では、方位を色で表す伝統がありました。東が青、南が朱、西が白、北が黒でした。それで、西の地域をベラルーシ、すなわち、白いロシアと呼び、それが、現在に至っているというわけです。<<




・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記








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