ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (38)  常勝モンゴルが負けた日 1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦い

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「常勝モンゴルが負けた日 1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦い」








1260年9月3日は、
世界史を変える出来事が次々起こった年。









歴史の大転換のひきがねとなったのは、
1260年9月3日に勃発したアイン・ジャールートの戦い。











アイン・ジャールートというのは地名で、
パレスチナにあります。










地図で場所をお示しすると、

青い付箋の先端部分です。
この地図は、
杉山正明「クビライの挑戦」に載っております。













ここで、
常勝モンゴル軍が、
初めて敗北。











会戦そのものは、
双方20,000人の戦力だったので、
それほど大がかりなものではないが、
世界史に与えたインパクトは計り知れなかった。











まずは、
アイン・ジャールートの戦いの背景をみてみると、











モンゴル軍は、
モンケの命で大西征中で、
連戦連勝のフラグが率いる部隊がシリアまで進出してきていた。










そこで、
モンケ死去の知らせが入り、
あわよくば皇帝位がオレ様のものに・・・と思ったフラグは、
すぐさま大旋回を決意、
モンゴル軍の指揮を、
部下のキト・ブカに委ねる。








一方、
パレスチナでモンゴル軍をむかえ撃つのは、
エジプトのマムルーク軍団。








エジプトでは、
1250年、
マムルーク軍のクーデターでアイユーブ朝が滅び、
マムルーク朝が成立、








ちなみに、
第7回十字軍でエジプトにのこのこやってきたルイ9世が捕虜になったのは、
この時です→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (18) ルイ9世の十字軍遠征と結婚力 - Victoriaの日記










ということで、
ここらへんで、
ヨーロッパとモンゴルの歴史がクロスするんだけれども、











それで、
マムルーク朝の第4代スルタンは、
クトゥズ、










クトゥズは、
モンゴル軍に降伏するよう迫られたが、
これを拒否、
マムルーク軍を率いて、
モンゴル軍と対峙すべく、
カイロを出発する。









この時、
先鋒隊を率いて戦ったのが、
バイバルス










バイバルスはキプチャク人の奴隷出身で、
片目が見えなかったため、
最初はなかなか買い手がつかなかったというが、
アイユーブ朝の貴族に買われて奴隷軍人=マムルークとなったという人物、









つまり、
アイン・ジャールートの戦いは、








キプチャク人のモンゴル軍 VS キプチャク人のマムルーク








という、
トルコ系軍人同士の戦いになったわけで、
いろんな意味でモンゴル軍が不利だった。









まず、
彼らは1253年に始まる大西征で、
常に戦闘の前面に立ち続け、
疲れ切っていた上に、








大将のフラグが戦線を離れてしまって、
つまり、
フラグが本隊を引き連れて帰ってしまったのだから、
後方支援が手薄、








本来なら、
シリアにとどまり、
前進すべきではなかったという戦略上のミスがあった。











一方のマムルーク軍は、
マムルーク朝ができて10年そこそこだから、
これからやってやるぞ!という戦意が十分な上に、











戦場は、
エジプトからそう遠く離れていないパレスチナ
いわば、
ホームでの戦いなので、
地理に詳しいし、
補給も十分。









負けに不思議の負けなしっていうけど、
まさにその通りだったわけだ。









アイン・ジャールートの戦いで、
モンゴル軍が敗北し、
マムルーク軍が勝利したことで、
世界の政治は大きく動き、











まず、
負けたほうのモンゴルは、
この会戦をもって、
西征を終了、









モンケの後を継いで皇帝になったクビライは、
西へ進出するのをやめ、
東=中国へと本格的に乗り出していく。











一方のマムルーク朝は、
トルコ系奴隷軍人の建てた王朝なので、
いわば、
異邦人の軍事政権、
エジプト国内では冷ややかな目で見られていたのだが、










この勝利で、
エジプトの救世主となり、
凱旋帰国した時には熱狂的に迎えられ、











勢いがついて、
この後、
十字軍も破って、
長期政権を樹立する。











ちなみに、
アイン・ジャールートの戦いで手柄をたてたバイバルスは、
帰り道で、
スルタン、クトゥズを殺害、
まんまと第5代スルタンに即位する。











ただし、
前の王様を殺して即位したため、
相当評判が悪く、
しかも、
よそ者のキプチャク人だから、








何とか自分の即位に正当性を与えたいと思い、
アッバース朝の生き残りを探し出してカイロに住まわせ、
名目上のカリフにしている。









あくまで、
実権はバイバルスが握っていたので、
カリフはお飾りなのだが、
エジプトの人たちを納得させる力はあったようである。











ということで、
いろいろあった1260年の話は、
まだまだ続きます・・・










ちなみに、
1260年は、
日本にとってどういう年だったかというと、









鎌倉大火があった年で、









1274年の文永の役
1281年の弘安の役で、
蒙古軍が襲ってくる前夜でした・・・





Victoriaでした。



・・・


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