ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (45) 1266年 幻のクリルタイ

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1266年 幻のクリルタイ







1264年、
4年間に渡るアリク・ブケとの、
モンゴル帝国帝位継承戦争を制して単独の皇帝となったクビライは、








ここらで、
ちゃんとしたクリルタイをやって、
ユーラシア大陸の西から東まで散らばった前王家を呼び、
名実ともに正式な皇帝として認めさせようと考え、











1266年に、
クリルタイを招集。











が、しかし、










直前に、
有力王家の君主が次々死んでしまうというアクシデントに見舞われ(暗殺とかじゃなく偶然なんだけど)
流れてしまう。










お亡くなりになったお三方はこちら。

  • フラグ(フレグ・ウルス=イル・ハン朝創始者。1218生〜1265没。47歳)
  • ベルケ(バトゥの弟、ジョチ・ウルスの第5代君主。?〜1266没)
  • アルグ(チャガタイ・ハンの第5代君主。?〜1266没)





生年が?になっているお二方は、
もともとは主流じゃなく、
君主になるポジションにはいなかったんだけど、








いろいろあって、
有力な後継者が死んじゃったり、
いても幼かったりで、
予想外の出世をなさったらしく、
よって、
何歳でお亡くなりになったかわかりません。









ベルケは、
息子がいたという記録もないらしく、
もしかしたら、
ここで彼の家系は途絶えたのかも?










それで、
まっ先にクリルタイ参加を表明したアルグを始め、
有力君主が死んでしまって、









次の王様をさがすのにてんてこまいだから、
クリルタイどころではなくなり、










クビライ一世一代のクリルタイはお流れに。









その結果、
中央アジアの情勢は不安定になり、
クビライもユーラシア統一をあきらめざるをえず、
モンゴル帝国統一国家ではなく、
連合体へと変貌していったことは前回見た通り→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (44) 1260年にモンゴル帝国は分裂・解体したのか? - Victoriaの日記









おかげで、
ヨーロッパは助かったという・・・









この後、
クビライは、
中国へと向かうから・・・








・・・


それで、
ベルケのことを調べていたら、
こんなおもしろい事実が・・・










ジョチ・ウルスとフレグ・ウルスの仲が悪かったということは、
前回見たんだけれども→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (44) 1260年にモンゴル帝国は分裂・解体したのか? - Victoriaの日記
地図はこれです。








どうやら、
ただ単にご近所さんで、
アゼルバイジャンの豊かな土地の利権争いをしただけではなかったらしい。









フラグが大西征した時→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (35) フレグの大西征と暗殺教団 - Victoriaの日記
ジョチ・ウルスからは援軍として、
親族を何名か送り込んでいた。











それが、
アイン・ジャールートの戦い→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (38) 常勝モンゴルが負けた日 1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦い - Victoriaの日記で敗北した後の宴席で、
不審な死を遂げたり、
あるいは、
フラグを呪詛したとかで(目の前で毒づいたってこと???)、
処刑されたりして、











モンゴルはモンゴルを殺さない









というおきてを破ったということで、
ジョチ・ウルス側が激怒。










そらそうだよね・・・
援軍出してるのに、
毒殺されたんじゃ(されたとジョチ・ウルス側は言っている)、
腹も立つよね・・・










ジョチ・ウルスは、
援軍を引き上げることにし、
もしも無事に帰還させてもらえないようなら(つまりフレグ・ウルス側が人質にとるとかそういうことか?)
マムルーク朝に逃げ込めという指令を出し、
実際、
エジプトへ亡命した大将がいたそうだ。










マムルーク朝のバイバルスは、









エジプト・マムルーク朝へようこそ!
ボクたちはキミたちの味方だよ!







と歓待し、
丁重に扱った上、
おみやげまで持たせて、
無事、ジョチ・ウルスへ帰還させた。









以後、
マムルーク朝ジョチ・ウルスと仲良くなり、
フレグ・ウルスを南北から挟み撃ちにして、
ゆさぶりをかけました、とさ・・











ベルケは、
モンゴル帝国の君主の中では、
まっさきにイスラム教徒になった王様として有名だけど、










父親のジョチが、
ベルケが産まれた時から、
イスラム教徒として育てることを希望し、
ムスリムの家庭教師を頼んで、
コーランの勉強をさせたという。








ベルケの軍団は、
戦闘中も常に礼拝を欠かさなかったらしい。









何度も聖地巡礼を行っているし、
ベルケがムスリムだったのは、
決して政治的な理由ではなく、
本当に信仰の厚いイスラム教徒だったようです。











モンゴル帝国って、
ホント、
人材が豊富よね・・・









Victoriaでした。



・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






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