ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (49) 銀は世界をめぐる
こんにちは。Victoriaです。
2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
「ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「銀は世界をめぐる」
さて、
クビライ国家の最大の収入源、
塩引(えんいん)→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (48) モンゴル帝国の経済システム - Victoriaの日記
これは、
塩そのものではなく、
塩の引換券で、
クビライ政府は、
塩そのものではなく、
塩とリンクした有価証券=「塩引」を操作。
むむむ・・・
有価証券ですか・・・
いまだに、
株と社債の違いもよくわかっていないVictoria、
うまくまとめられるのだろうか・・・
この「塩引」というのは中国在来のもので、
「塩引」をモンゴルの基幹通貨、銀とリンクさせたところが、
クビライ政権の経済官僚たちのすごいところ。
ただ、
13世紀の世界で、
銀の絶対量はまだまだ少なく、
帝国の商業を支えるに十分な銀は、
なかったので、
というのは、
銀が大量に出回るのは、
16世紀以降南北アメリカ大陸で銀が発見されてからだから、
「塩引」を補助通貨として使ったわけである。
国家が、
塩の専売事業と、
銀に代わる高額紙幣=塩引を運用していたということだ。
塩引に次ぐ収入は、
商業税からという話はすでにしたけれど、
商業税の納付は、
銀か塩引、あるいは紙幣で行われていた。
それで、
この銀のルートがすごく大事なんだけど、
クビライは、
毎年正月に「定例賜与」という名目で、
年始のあいさつにやってきた一族の者たちに、
銀を配っていた。
要するに、
今年一年あんじょう頼むわっていう、
あいさつ代わりね、
それで、
銀をもらった王族たちは、
その銀を何に使ったかというと、
投資。
何に投資していたかというと、
オルトク。
オルトクは会社でしょ?
モンゴル帝国の王族たちは、
オルトクの出資者となり、
利潤還元の約束つきで、
銀を貸与、
それを使って、
オルトクは、
ますます手広く商業を行っていったということ。
ここまでを、
図にしてみました。
要するに、
このようにして、
銀がユーラシアをぐ〜るぐると回っていたわけで、
モンゴル帝国の王族・貴族たちは、
資本家だったわけです。
なんか、
現代のアラブ諸国の王族をほうふつとさせますが、
口で言うのは簡単だけど、
これだけのシステムを、
ほんの数年で(準備にはもっとかかったかもしれないけど)
成し遂げてしまうって、
相当、
モンゴル帝国の経済が発達していたということで、
出口社長のおっしゃるとおり、
生まれ変わることができるなら、
ぜひ13世紀に戻って、
モンゴル帝国の改革を、
この目で確かめたい・・・
Victoriaでした。
・・・
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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記