ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (54) クビライ、大都(=北京)建設

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「クビライ、大都(=北京)建設」






さて、
クビライの経済政策がやっと終わったので(ホッ・・・)、
今回は、
首都建設のお話。







実は、
この講義を聴くまで、私、









クビライが北京を作ったなんて知りませんでした・・・











ずーっと、
王朝が代わっても、
首都だった北京、










最も中国らしい都市であるはずの北京が、
(実はまだ行ったことない・・・早く行かなきゃ・・・)
漢民族が作ったのではなく、
異民族であるはずのモンゴル人が作ったなんて、
思うはずがない・・・










クビライに関しては、
とにかくびっくりなことが多いんだけど、











北京はクビライが作った












これが最大のびっくりでした・・・マジで・・・











・・・


実際、
大都(クビライはこの都市を大都と名付けた)は、
これ以上ないくらいに、
古代中国の国都の理想型を忠実に実現、








例えば、
外郭の周囲は、60里。
60という数字は聖なる整数で、
なぜかというと、
干支がひとめぐりするから。











とにかく、
一事が万事、そんな感じで、
大都は、
シンボリックな意味がちりばめられた、
「ザ・中華」な街なんだけど、











なぜ、
そんなことができたかというと、











机上のプランに基づいて、
更地にゼロから作られた純計画都市だから。











首都建設が始まったのは、
1266年。









この年は、
幻のクリルタイが計画されていた年で→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (45) 1266年 幻のクリルタイ - Victoriaの日記
結局、
クリルタイは流れてしまったけれども、









われこそは帝王なり!ということを、
広くあまねく知らしめるため、
帝都建設を見せつけようとしたはずで、











完成したのは、
1293年。
約30年かけた建設終了を見届けて、
翌年、
クビライは亡くなっている。











・・・



大都建設が着々と行われていた、
1264〜1294までの30年間は、
ユーラシア史上まれにみる大建設の時代で、











首都建設も、
そのひとつであった。










首都建設だけが目的ではないところがクビライのすごいところで、










大都を中心に、
大首都圏をつくりだし、
さらに各地を水陸両面の交通体系でつないで、
ユーラシア全体を完全にリンクさせてしまったのである。










その象徴が、
直沽(ちょくこ)。











直沽とは、
現在の天津で、
北京から天津までを、
運河でつないでしまった。











当時の工学技術では、
なかなか困難な工事だったらしいが、









馬や荷車で運搬するよりも、
河船のほうが圧倒的に積載量が大きかったので、
何が何でも開通させたかったという。










北京と天津がつながったということは、
北京と世界がつながったことを意味する。










なぜなら、
天津には、
江南はもとより、
世界中の船がやってきたからだ。












つまり、
北京は物流ターミナルの役割を果たしていたわけである。












それで、
中国の地理に詳しくない私、
北京と天津の位置関係がよくつかめなかったので、
調べてきました。

帝国書院「最新基本地図」より拝借。











南宋接収後は、
江南から中国大陸を縦貫する大運河が開通、











中国本土の北のはしまで大運河が到達したのは、
唐代より実に三百数十年ぶり。











当時の旅行者たちによると、
クビライの王道は、
ひろびろとした公道の両側に水が流れ、
ポプラや柳が植えられて、
すずやかな陰をつくっていたという。












・・・ということで、本日の結論 :










海に直結する都、大都(=北京)は、
経済(=銀)の循環の起点(=ハブ)だった。










今回も、
杉山正明「クビライの挑戦」を参照しました。











Victoriaでした。


・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記







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