ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (88) 史上最大の歴史書 「集史」完成

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、「史上最大の歴史書 『集史』完成」








さて、
舞台はモンゴルに戻って、









1295年、
フレグ・ウルスで軍事クーデターがあり、
ガザンが第7代君主に即位、










ラシード・アッディーンを宰相に任命し、
モンゴル帝国の歴史編纂を命じた。









1260年、
チンギス・カンの四男トゥルイの三男であるフレグが、
イランの地に「フレグ・ウルス」を建国、









第2代アバガ(ガザンの祖父)、
第4代アルグン(ガザンの父)は直系の長子だったが、
あとは弟に王統が移り、










ガザンの前の第6代君主バイドゥは、
まったくの庶流の人物で、











したがって、
ガザンは軍事クーデターで王位を奪ったとはいうものの、
不当な簒奪者(さんだつ)ではなく、
われこそが、
本来しかるべき正当な王位継承者であると、
高らかに宣言する必要があった。











ここらへん、
ちょっと複雑なので、
系図でご覧ください。

杉山正明モンゴル帝国の興亡 上」より拝借しております。

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)










これを見ると、
たしかに、








フレグ−アバガ−アルグン−ガザン








が直系の長子だということがわかる。








さて、
1295年、
ガザンがクーデターで君主になった当時、
フレグ・ウルスは実はがたがたになっており、








国家財政は破綻、
遊牧騎士をつなぎとめておくための経済力はもはやなかった。










創始者フレグ以降、
これといった優れた指導者に恵まれず、
行き当たりばったりの国家運営にまかせてきたツケがまわってきたのである。










したがって、
もしも自分の政権運営がポシャったら、
国家もろともポシャるかも、という危機的状況に直面していたガザンにとって、












「モンゴル史」の編纂というのは、
単なる文化事業にとどまらず、
フレグ・ウルスの栄光よ再び、という、
国家の命運をかけた、
めちゃめちゃ政治色濃厚な国家政策で、










編纂を任されたラシードは、
宰相として、
行政改革にまい進する一方、









歴史編纂を、
部下に丸投げせず、
自分自身も、
夜明けとともに筆をとり、
移動の馬の背でも構想を練ったという。










右手で確定申告、
左手で大学受験の添削指導をしつつ、
寸暇を惜しんでブログを書くようなものですか???










ホント、
2月はいろんなものがいっぺんにまとめて襲ってくるので、








バレンタインも、
もう少しで忘れてスルーするところだったし・・・









・・・


話戻して、










「集史」ですが、









第1巻 モンゴル史
第2巻 世界史
第3巻 地理志












の3部構成だったと言われるが、
第3巻は見つかっていない。











ガザンは、
モンゴル語で書かれた史書を参照しただけでなく、
モンゴル各部族に伝わる系譜や伝承を駆使して、
まず「モンゴル史」をまとめあげる。










残念なことに、
編纂を命じたガザンは、
1304年に34歳の若さで、
激務の果てに病死、










後を継いだ弟オルジェイトゥは、
引き続き、
世界の主な種族の歴史を編纂するよう、
ラシードに命ずる。









ラシードは、
中国やインド、
さらにはキリスト教徒やユダヤ人の学者もスタッフに加え、
世界の歴史を、
史上初めて体系化することに成功する。











「集史」が完成したのは、
1310年〜1311年といわれていて、










14世紀初めまでの、
ユーラシア大陸の総合史となっている。











時の権力者が、
自分の政権の正統性を裏付けるものとして書かせたという経緯がある以上、
内容はバイアスがかかりまくりなのは周知だが、










たとえそうだとしても、
もしも「集史」がなかったら、
モンゴル史はもちろん、











トルコ系遊牧民の歴史や、
イスラーム史、イラン史も、
大きな史料源を失うこととなり、
世界史にとっては大きな痛手、








しかし、
ペルシア語で書かれているが、
モンゴル語トルコ語、漢語、チベット語サンスクリットラテン語など、
実にさまざまな言語の固有名詞が多数使用されているため、
いまだに、
まともに校訂されていない状態なのだという。











もしかしたら、
13世紀のモンゴル帝国をしのぐ世界帝国というのを、
人類はまだ経験していないのかもしれません・・・












・・・



ガザンは、
イスラームに改宗し、
イスラーム教を国教としたことで知られる。








もともとは仏教徒だったが、
王位継承権を争っていた時、
イスラームに改宗すればイスラーム教徒の支持が得られると説得され、
改宗を決めたという。










したがって、
即位の際には、
イスラームの帝王」として「マフムート・ガザン」と名乗り、










モンゴルの慣習を踏襲しつつ、
国家規模でのイスラーム化を進めていく。










ちなみに、
ガザンの宰相、
「集史」編纂者ラシードは、
ユダヤ人で、
もともとは医者として仕えていたが、
能力を認められ、
宰相に登用されている。










実力本位で、
出自を問わないというモンゴルの伝統は、
ここでも生きていたのである。










・・・

さて、
「集史」をひもといてみると、
絵が豊富であることに驚く。











ここが、
中国の歴史書史書」と大きく違うところで、












「集史」は、
前ページに細密画が掲載され、
絵+文で説明がされているので、
非常にわかりやすい構成となっており、













文+図で説明をする「チャート式」は「集史」に由来するのよ♪













ということは、
精巧な細密画を描く絵師も、
たくさん雇っていたということでしょ?












国家財政が逼迫していたとかいいながら、
めっちゃお金かかってるよね・・・












最古の写本は、
トルコのイスタンブルにあるトプカプ宮殿にあるそうで、










トプカプ宮殿は、
世界遺産です、










いつか、
「集史」の全容が解明される時が、
来るのでしょうか・・・???










Victoriaでした。


・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記





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