ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 (5) なぜ5000年史なのか?

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義は、






「なぜ、5000年史なのか?」





という話からスタート。









出口社長は、
開口一番、





「私は日本史というものはないと思っています」




とキッパリ。




学校では、
「日本史」「世界史」と分けて教えられるけれども、
世界はひとつにつながっているのだから、
世界史から切り離された「日本史」というものはない。





例えば、
奈良時代
日本では、
女性天皇が何人か登場したが、
日本史の授業では、
それらは、
すべて、
緊急避難的な処置にすぎず、





例えば、
皇位継承権のある男子が病弱で、
仕方なく、
ピンチヒッターとして女帝をたてたのだ、
という風に、
説明がされている。





しかし、
本当にそうだったのだろうか?




同時代の中国、朝鮮半島を見てみると、




中国は、
あの、
武則天の治世だったし→
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (10)7世紀の東アジアは女性の世紀 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (13) 武則天 VS 楊貴妃 二人は幸せだったのか? - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (19) 男は女になめられて権力を失い、女は男を踏み台にして権力の座につく 太宗−高宗−武則天の場合 - Victoriaの日記





新羅でも、
女性の王様が二人出た。




そうすると、
そういう諸外国の様子をみていた持統天皇が、






旦那の天武天皇がふがいないので、
よっしゃあ!
ここは私がひと肌ぬいでやろうじゃないの・・・
と思ったとしても不思議はない。





つまり、
持統天皇には、
女帝としてのロールモデルが外国にあったわけで、
そういう意味で、
世界はひとつ、
日本の歴史も、
本当のところはどうなのか?というのは、
世界史をひもといてみないとわからない。






あるいは、
日本人が大好きな明治維新をみてみると、





ペリーの黒船が浦賀沖に来たから開国したということに、
日本史の教科書では教えている。





何しに来たの?という理由については、
その頃、
アメリカは捕鯨船を持っており、
遠洋漁業に出かける捕鯨船の、
水とか木炭とかの補給が必要だったので、
日本に立ち寄ったということが言われているけれども、





ペリーが乗っていた船(=黒船)は、
当時のアメリカの戦艦であり、
たかが鯨をとるためだけに、
戦艦を遠路はるばる日本までひっぱって来たとは考えにくい。






そこで、
当時のアメリカの事情をよくよく見てみると、





実はアメリカは、
イギリスと覇権争いをしており、
この時点までは、
ことごとくイギリスに負けていた。





なぜかというと、
イギリスは、
大西洋からインド洋経由で中国に至る海路を押さえており、
中国との貿易を独占していたからである。





アメリカが、
同じように、
大西洋からインド洋経由で中国に行こうとすると、
途中でイギリスとぶつかってしまうから、
不利になってしまうので、
どうしても、
太平洋経由で中国へと至る海路を開拓する必要に迫られていた。






つまり、
ペリーが日本に立ち寄った意味というのは、
単なる捕鯨船の補給なんかじゃなく、
イギリスと、
国運をかけて争っていた、
アジアでの覇権が手に入るかどうかの瀬戸際だったわけで、
そう考えると、
大砲積んで、
万全の態勢で日本をビビらせに来た理由が、
ストンと落ちるわけである。






アメリ国務省海軍省の文献をみると、
このあたりのことが、
きっちり書かれているので、
明治維新のことを本当に知りたければ、
アメリカの公式文書にまで当たれと、
そういうことである。





出口社長の講義のタイトルが、
「5000年史」となっていて、
「日本史」を単独で語ることがないのは、
そういうわけです。





Victoriaでした。