ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (6) 帝王クビライ亡き後のモンゴル

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「帝王クビライ亡き後のモンゴル」。

写真は、
会場となった京都大学百周年時計台記念館会議室。



当日は、
参加者38名、
この部屋がほぼ満席に。



早朝、
地震があったのに、
みなさま、
大変熱心です。



さて、
今回の講義、
第一部は「パックス・モンゴリアとペスト」。




舞台は、
モンゴル帝国です。




モンゴルといえば、
前回講義「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5」で、
みっちりやったので、
予習は十分。




ですが、
今回の講義に参加なさった方の、
半分くらいは初めてとのことだったので、
ちょっとおさらいを。




・・・


まず、
モンゴル帝国には、
独特の用語がいっぱい出て来るので、
最初はとっつきにくい感じがするんだけれども、




例えば、
「ウルス」とか「カーン」とか。




なので、
それらの用語をこちらにまとめてますので、
モンゴル初心者の方は、
ぜひご覧ください→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 モンゴル帝国の歴史を読み解くための用語集 - Victoriaの日記





それで、
モンゴル帝国の歴史を、
めちゃめちゃ簡単にまとめると、




モンゴル帝国を作った人は、
チンギス・カン




とても勇敢な方で、
生涯のほとんどを、
領地を広げるための外遊で過ごしたというすごい方。





チンギス・カンには、
4人の息子がいて、
それぞれが領土をもらい、
王様になっていて、




4番目の息子のそのまた息子(つまりチンギス・カンの孫)に、
またまた優秀な人がいたんだけど、
それが、
かの有名な、
クビライ。




つまり、
モンゴル帝国は、
おじいさんのチンギス・カンが打ち立てた国で、
賢い孫が、
帝国として完成させたと、
そういうわけです。





ここで、
チンギス・カン家の家系図をご覧ください。

杉山正明モンゴル帝国の興亡(下)」より拝借してます。

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

黄色のマーカーが、
チンギス・カン家の最重要人物、
チンギス・カンとクビライです。





チンギス・カンの3男オゴデイの息子に、
カイドゥという男がいて、





ピンクでマーカーしてる人ですが、





この方が、
13世紀末〜14世紀初頭、
つまり、
クビライ亡き後のモンゴル帝国の命運を握る人で、





今回の講義は、
「カイドゥの乱」から始まるんだけれども、





1294年、
クビライが80歳で死ぬと、
テムルが即位した。






この人は、
モンゴル帝国が盤石な体制を敷いてから登場した人なので、
戦の経験があまりなく、
クビライに比べると、
あらゆる点で小粒。






なので、
暴れん坊のカイドゥは、




やったぜ!オレ様の天下だ!





とばかりに、
反旗を翻す。





カイドゥのおじいさんは、
2代目皇帝オゴデイだったから、
我こそは、
本家本元という気持ちもあるし、





クビライが生きている間は、
反クビライの人間が、
カイドゥの元に結集していたので、
勝算もあった。





オレ様が皇帝位奪還のために立ち上がれば、
ゼッタイ、
みんなついて来るはず・・・





だけど、
世の中、
そううまくいかないもので、





クビライ存命中にカイドゥの元に集まってきていた者たちは、
いわば、





アンチクビライ





の一点でつながっていたに過ぎず、
いざ、
クビライが死んでみると、





何もわざわざ、
昔ながらの遊牧生活に回帰しよう!なんて言ってるカイドゥの家来になって、
貧乏な暮らしに戻ることないだろ?





つまり、
クビライにいろいろうるさいこと言われるのはイヤだったんだけれども、
冷静に考えてみれば、
クビライのグローバリゼーションで、
暮らしも豊かになり、
ぜいたくな暮らしに慣れてしまった王族たちは、
今さら、
チンギス・カンの古き良き時代に戻る気にはなれなかったというわけだ。





ということで、
1300年から翌年にかけて、
モンゴル高原で、
歴史上最大規模の大会戦が繰り広げられ、
モンゴル同士、
騎馬の精鋭同士の激闘が展開、





結果は、
当然、
大元ウルス(クビライ側)の圧勝で、





カイドゥは1301年、
戦の傷がもとで死んでしまう。






戦で死ぬのは、
モンゴルの武将にとって、
王道の死に方なんだけど、





カイドゥの死が、
その後のモンゴルの命運を握っていたという意味は何かというと、





陸も海もつながることができた!






どういうことかというと、
まずは、
こちらの地図をご覧ください。

今回は、
レジュメに地図が追加されました!





出口社長、
ありがとうございます。






それで、
元の西、
ちょうどモンゴル帝国のど真ん中に、
オゴタイ・ハン国というのがありますが、
これがカイドゥの本拠地で、





こんな、
東へ行くにも西へ行くにも、
ゼッタイ通らなくちゃならない大事なところに、
反乱起こした人がいるということは、





陸路がキケンすぎて使えない・・・





なので、
せっかくグローバリゼーションをめざして、
東西貿易を盛んにしてきたのに、
海の道しか使えなかったわけだけど、





じゃま者、
カイドゥ亡き後、
陸も海もつながることができ、




14世紀初頭、
モンゴル世界帝国は、
極盛期を迎えた(=モンゴルの春)。






めでたし、めでたし・・・





・・・


モンゴルの人たちは、
大事な会議の前に、
必ずすることがあって、






トイとよばれる宴会。





酒をがぶ飲みして、
それこそ、
一週間ぶっ通しでドンチャン騒ぎとか、





そうやって、
腹を割って話して、
オレとお前は同士だな、みたいな、
絆の確認をして、
それがそのまま、
根回しにつながっていくわけだけど、





久しぶりに、
陸路がつながって、
中国やロシア、ペルシアからはるばるやってきた王族たちの、





宴会政治






が盛んに行われ、






平和になると、
武器の代わりに、
いろんな文物を持ち運び(賄賂とか♪)、
交易が豊かになるのが歴史の常だから、
青花とよばれる中国の陶磁器が、
西へと流れていったりして、






今、
これ書いてて思ったんだけど、
陶磁器って壊れやすいし重いじゃない?




運ぶの、
大変だったろうね・・・





ご苦労様です、
ラクダさん・・・





文物だけでなく、
文化活動全般が盛んになるのも平和な世の特徴で、






戦乱の世では、
とにかく、
ケンカに強いマッチョな男がイバっているものだけど、
戦争がなくなると、
それまで影を潜めていた文化人たちが、
突然威張り始め、





日本人が中国を理解する教科書的な役割を果たした、
十八史略
が書かれたのも、
この時代。





ええ、
十八史略」は、
今でも高校の漢文の授業で、
しっかり読まされています・・・





中国の歴史を学ぶことは、
やぶさかではないのだが、
あんな昔の話、
それも、
宴会で、
誰がどういう席順についていたか、とか、
そんな細かいことを、
なぜ、
日本全国の高校生が暗記せねばならないのか、
疑問に思わぬでもない・・・






13世紀のモンゴルについて、
お読みになりたい方はこちらをどうぞ→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






出口社長おすすめの、
モンゴル関連の本はこちらです。

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)







Victoriaでした。


ライフネット生命