ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (9) 1304年のモンゴル帝国

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1304年のモンゴル帝国」。




さて、
カイドゥが、
帝王クビライ亡き後のモンゴルのトップになろうと企んでしかけた、
一か八かの賭けが失敗に終わり、




当のカイドゥ本人が死んでしまって、
大元ウルスの強さが、
以前にも増して際立つ結果になって、



そうすると、
人間模様がガラッと変わるのが世の常、



ありますよね・・・
にらみをきかせていたドンのような人物が引退すると、
それまで目立たなかった控え選手が、
急に生き生きするっていうことが・・・




モンゴル会戦が終わった直後の、
モンゴル帝国首脳陣のメンツはこちらの方々です。

字が細かくて、
申し訳ないです。




チンギス・カン家も、
どんどんメンバーが増えて、
家系図が大変なことになっております。




まず、
この時点での、
大元ウルスの大カアンはテムル、




彼が、
東のドンだとすると、
西のドン、
つまり、
中央アジアを仕切ったのは、
ドゥア。




ドゥアはなかなかのやり手で、
カイドゥの葬儀を主催して、
自分が中央アジアのトップであることを、
周辺に知らしめ、




カイドゥが、
たくさんいる自分の息子たちの中から、
後継者に指名していたオロスを無視し、




というのは、
オロスは優秀だったので、
カイドゥ的には邪魔だったらしいんだけど、




代わりに、
人望のないチャパルを当主に推薦、




こうやって、
自分の意のままになる人物で周りをかためて、
使節団を結成し、
モンゴル帝国の完全和平を知らせるため、
使者を、
ジョチ・ウルス、フレグ・ウルスへと送った。





ジョチ・ウルスの、
1304年当時の当主はトクタ、



その次の当主、
ウズベクハーン(在位1312〜1340)は、
その名前がウズベク族の名前の由来となった方。




フレグ・ウルスでは、
1304年、
第7代君主、ガザンが死去、
オルジェイトゥが第8代当主になっている。





ガザンは大変賢い王様で、
数々の偉業を成し遂げているんだけど、
詳しくはこちらですでに見ています→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (88) 史上最大の歴史書 「集史」完成 - Victoriaの日記




史上最大の歴史書「集史」を書いただけでなく、
自らイスラム教徒に改宗したことでも有名。




オルジェイトゥもまた、
賢い王様で、
この二人は兄弟なんだけど、
この二人の治世で、
フレグ・ウルスは極盛期を迎えたといえる。





オルジェイトゥが自分の墓として作らせたソルターニーイェは、
世界遺産に登録され、
世界最古のドームであり、
中央アジアで最大規模を誇る。




1304年といえば、
ヨーロッパでは、
ル・ベルと言われたフィリップ4世がフランスを治めていた時期、
(フィリップ4世についてはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (90) 教皇ボニファティウス8世 VS フランス王フィリップ4世 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (83) 美形の王様 フィリップ4世 - Victoriaの日記






フレグ・ウルス第8代当主オルジェイトゥから、
フランス王フィリップ4世にあてた「国書」が残っており、
その中で、
モンゴルの帝国が再び一つになりましたよということが、
美しいモンゴル語で書かれているそうで、




そのころの日本て、
どうなってたんだろ?と思って、
調べてみたんだけど、




時は鎌倉時代
執権北条師時のもと、
朝権回復への動きが見られたっていうんだけど、





北条師時って誰?




元寇で、
国力が低下して、
幕府が衰退への一途をたどっていた時期なので、
なんか、
パッとしない・・・





Victoriaでした。



・・・

今回も、
杉山正明モンゴル帝国の興亡 下」を参照しました。

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

ライフネット生命