ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (12) トゥグルク朝のダウラタバード遷都

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「トゥグルク朝のダウラタバード遷都」。

さて、
今回の舞台はインド。



鉄砲が発明されるまで、
地上最強の武器は、




馬に乗りながら矢を射る兵隊




だったので、
中央アジアは、
騎馬の天才、トゥルクマン(=トルコ人)が仕切っていた。



4〜5世紀にモンゴルを支配した突厥
8〜9世紀に活躍し、
キルギスに滅ぼされたウイグル




彼らはみなトルコ人





キルギス人もトルコ系だが、
彼らはウイグルを滅ぼしたものの、
ひとつの国を作るほど強くはなかったので、
トルコ人が大量に西へ西へと流れていった。





トルコ人といえば、
職業軍人マムルークが有名、
マムルークは「奴隷」と訳されることが多いけれど、
実態は「プロの戦士」に近く、





貴族や王様専属の戦士として、
大量に養子としてもらわれていったという経緯がある。




マムルーク VS モンゴルの戦いはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (38) 常勝モンゴルが負けた日 1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦い - Victoriaの日記



そんなマムルークがインドに作った王朝を、
デリー・スルタン朝」と言うんだけど、




デリー・スルタン朝」には全部で5つの王朝があり(そうなの?知らなかったわ・・・)
その3番目が本日のテーマ「トゥグルク朝」。





デリー・スルタン朝というのは、
「デリー」という名前の通り、
デリー中心に北インドを支配した王朝で、
場所はこのあたり↓

これは、
今回のレジュメに出口社長がつけて下さった地図で、
「社会人のための世界史」東京法令出版から引用しております。

社会人のための世界史

社会人のための世界史





インドというのは、
今もそうだけど、
北と南では気候・風土がかなり違うので、
人々をまとめるのがとっても大変なお国柄、





だいたい次の3つの地域に分かれます。





1 ガンジス川のほとり。デリーを中心とする豊かな平原。
2 インダス川のほとり。パキスタン辺りを含む。
3 南インドデカン高原海上貿易が盛ん。





それで、
トゥグルク朝の第2代君主、
ムハンマド・ビン・トゥグルク(在位1325〜1351)という人は、
突然死した父の後を継いで(暗殺説あり)、
即位すると、





デカン高原に都を移そう!




と思い立ち、
周囲の猛反対を押し切って、
遷都を敢行、






結局、
うまくいかず、
たった2年で、
デリーに戻した。






おかげでインドの南北を結ぶ交通網が発達、
結果として、
インド国内の文化的・経済的交流が促進されるというメリットもあったが、






政治的には大失敗で、
各地で反乱が起き、
それらを鎮圧しようと奔走している遠征中、
亡くなっている。





ムハンマド・ビン・トゥグルクという人は、
理想家肌で、
インドを統一するためには、
デリーのような豊かなところでぬくぬくと政治をしていてはいけない、
人間、
ラクして生活しているとダレてしまうから、





だから、
ご飯もまずいし、
キレイな美女もいないところに行ってしまえば、
みんな、
他にやることないので、
しょーがなく仕事をするだろう、





そう考えて、
ムリヤリ遷都したんだけど、
結果的には、
なんでこんな田舎にわざわざ来て、
仕事せにゃならんのだ、
とみんなブーブー文句を言って、
かえって仕事にならないので、
仕方なく、
デリーへ戻ることになってしまって、





大土木工事をして、
立派な道まで作ったというのに、
全部水の泡になってしまって、






おまけに、
しばらく留守にしていたおかげで、
デリーもすっかり荒廃してしまい、
その復興にも、
えらいことお金がかかって、
国の財政を悪化させるもととなった。





いらない高速道路を作ると、
あとからいろいろとツケが回ってくるのね・・・





軍人としては優秀だったけど、
政治家としてはイマイチだったのか、
遷都を始め、
後から後から打ち出す政策が全部ポシャってしまって、
国を混乱させただけで、
な〜んもいいことのなかったように見えるムハンマド・ビン・トゥグルクの治世だったが、




ムリヤリ交通網を整備したことが、
16世紀になって、
ムガール帝国がインドを統一することにつながっていく。





新しい都を作るためには、
なにはともあれ、
道が必要、





北から南まで、
広い範囲にわたって、
ムガール帝国の支配が行き届くために、
14世紀に作られた道路網が、
大いに威力を発揮したわけである。




・・・ということで、本日の結論 :





バカと天才は紙一重って言われるけど、
ムハンマド・ビン・トゥグルクも「天才か狂人か?」と言われているそうです・・・






それで、
ダウラタバードなんだけど、
ホントに、
な〜んもない所だったみたいで、




今見ても、
やっぱり、
な〜んもない所らしい。





岩山の上に、
都の跡が今でも残っていて、
観光地になっているそうです。









この写真は、
著作権放棄されたパブリックドメインなので、
好きに使っていいらしいので、
堂々と拝借。






万里の長城なんかもそうなんだけど、
こういう大土木工事の跡を見ると、
一体、
何人の人間が、
これ作るためにかり出されたんだろうって思う、






昔の王様の権限って、
ホント、
すごかったんだね・・・






Victoriaでした。



ライフネット生命