ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (19) 1368年 明建国と足利義満即位

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1368年 明建国と足利義満即位」。





まず、
山川出版社世界史用語集を見てみると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版






明 : 1368〜1644 中国史上で唯一、江南から発展して中国の統一に成功した王朝。建国社は朱元璋。その後、1421年、永楽帝の時代に首都が南京から北京に移された。漢民族の伝統的制度が復活され、皇帝独裁政治が確立され、文化も成熟したが、中期以降は北虜南倭と宦官の横暴に苦しみ、財政難や宮廷の内紛も重なり、1644年、李自成の乱で滅亡した。







江南から北上して大都にはいり、
モンゴル軍を追っ払った立役者はこの方、







徐達(じょたつ)。

ウィキペディア・コモンズより引用。






徐達は、
朱元璋とは古くからの親友で、







張子誠を破ったのもカレ→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記







非常に有能な軍人で、
数々の功績をたて出世した後も、
決しておごらず、
人望が高かったが、







あまりにも徐達がすばらしすぎて、
朱元璋に疎まれ、
最期は不遇な死を遂げた。







モンゴルの拠点であった大都は、
その後、
北平と改称され、
モンゴル軍は戦わずして、
モンゴルへと帰っていった。







飢饉やら何やらで、
食べ物もなく、
逃げるようにして去っていったという。






・・・


さて、
1368年は、
日本では足利義満が即位した年で、







義満で、
室町幕府は三代目、








初代、二代目の頃は、
内乱で荒れていたけど、
三代目になってようやく落ち着き、
絶頂期を迎える。







足利政権の特異性は、
皇室を軽んじていたことで、








足利尊氏の執事であった、
高師直(こうのもろなお)が、
「生きた人間じゃなくて人形でも立てておけ」
と行ったと伝えられるくらい、
皇室を大事にしないと言われる理由は、










義満のころの皇室は、
南北朝に分かれて争っていて、
食べるものにも事欠き、
皇室の大事な仕事である、
数々の儀式を満足にあげることすらできないくらい、
弱体化していたからである。







実は、
鎌倉幕府以来、
日本では、
武家政権ができた時、
都は2つあるのが特徴で、





平清盛だって、
福原に都を定めたくらいだから、







京都で、
皇室が儀式を執り行い、
江戸など、
京都からはるか離れた場所で、
政治が行われていたから、
うまく棲み分けができ、
それなりに仲良くやっていたのだが、







足利政権の時だけは、
どちらも京都に住んでいたので、
空前絶後の権力をほこる足利氏に比べ、
天皇の権威は低下せざるを得なかった。







目の前に、
金閣寺なんか建てられたら、
かすんじゃうよね・・・







このあたり、
狭い京都で、
ちまちまとなわばり争いしていた日本と、
江南だ北京だモンゴルだと、
ものすごい距離を大移動していた中国との、
スケールの差を感じずにはいられない・・・






Victoriaでした。