ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (27) 1312年 テンプル騎士団解散

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1312年 テンプル騎士団解散」。





さて、
もう何度も何度も、
フランス王フィリップ4世が、
見かけによらず(あるいは見かけどおりか?)強欲で、





もっとお金がほしい!
もっとお金がほしい!





と、
そればっかり、





あちこちに、
因縁つけて、
お金まきあげてたって話はさんざんしたんだけれども、
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お金ってのは、
持てば持つほど、
もっと欲しくなるもので、





ローマ教皇庁から、
お金かすめとるだけでは満足しなかったフィリップ4世、
今度はここに目をつけた。






テンプル騎士団






これです。

テンプル騎士団の紋章。





ウィキペディア・コモンズから拝借しております。





それで、
フィリップ4世が目をつけるくらいだから、
どんなお金持ちなんだろ?
と思って調べてみたら、






とんでもない資産持ちだった・・・






やっぱりね、
富の蓄積は、






免税。






これが、
最強の集金マシーンだということを、
まざまざと思い知らされるんだけれども、





宗教団体というのは、
古今東西
免税ですから、





とにかく、
すんごい資産を持っていた。






まず、
テンプル騎士団に入る時には、
厳かなる入会儀式というのがありまして、






そこで、
自分の持ってる財産、
根こそぎ、
寄付するらしく、






創設は、
第一回十字軍の後なので、
エルサレム巡礼が目的だったんだけど、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (20) 第1回十字軍 - Victoriaの日記






活動を続けるうちに、
軍事組織としてだけでなく、
財務組織としても強大になり、






ヨーロッパから中東に至るまで、
あらゆるところに土地を持って、
自前の艦隊まで持ち、





なんと、
最盛期には、





キプロス島全島所有。







はあ?

キプロス島って、
何それ、
大きいの?






ウィキペディア・コモンズから拝借。





いや、
この写真だけじゃ、
何かの化石かなんかみたいでよくわかんないので、
もうちょっと調べて見ると、







キプロス島 : 地中海で3番目に大きい島。






でかっ!







それを所有していたって、
どういうこと?






気になって、
さらに調べてみたところ、





第3回十字軍で、
イングランドリチャード1世が占領したのを、
テンプル騎士団に譲渡したんだって・・・
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (27) 第3回十字軍 - Victoriaの日記





つまり、
テンプル騎士団は、
王様にお金貸すかわりに、
担保として島を押さえたとか、
そういうことか?






う〜ん、
どこもかしこも、
金欠の王様だらけで、
みなさま、
お疲れ様ですって感じだが、






それで、
テンプル騎士団については、
つっこみどころ満載で、
どんどん話が脱線していくんだけれども、






島まで持ってる、
あからさまなお金持ちがいれば、






王様が目をつけるのは、
ある意味、
当然で、






それで、
これも今回調べてわかったことなんだけど、






イギリス王も金欠だったかもしれないけど、
イギリスと戦ったフランスもそれは同じ、






なんと、





テンプル騎士団は、
フランス王の最大の債権者だった・・・






つまり、
大金貸していたって、
そういうことね、







利息とってたのかしらね・・






そんなこんなで、
フィリップ4世は、
わが世の春を謳歌していたテンプル騎士団を、
お家取りつぶしにかかるわけだけど、






それは、






テンプル騎士団が所有していた潤沢な資産を巻き上げるという目的と同時に、
債務取り消し=借金の踏み倒しの意味もあった・・・






やっぱ、
王権てのは、
強いね・・・






現代社会でも、
誰よりも多額の借金を抱えた、









が、
誰よりもデカイ面して、
堂々と、
庶民からゼニを巻き上げるという構図は変わらないわけですが(=徴税という)、






ついに、
運命の日がやってきます、
その日は、






1307年10月13日金曜日。






日付と曜日に注目。





13日の金曜日




が不吉だという言い伝えは、
これが発祥。






ふむ、
テンプル騎士団の呪いは、
こわいってか・・・






たしかに、
呪いの力は強かったらしく、






最後は、
4人の指導者らが、
シテ島で、







生きたまま火あぶりの刑に・・・







聖職者の、
それも、
筋金入りの人物を、
そんな目にあわせちゃ、
いけないと思うよ・・・






処刑を命じたフィリップ4世は、
その同じ年に急死、






直接、
手を下したわけではないが、
フィリップ4世の言うままになっていた、
教皇クレメンス5世も、
同じ年に急死しており、







呪いはかかっていたと思われ・・・






・・・ということで、本日の結論 :






だんだん、
フィリップ4世が、
とんでもない悪党に見えてきたぞ・・・






Victoriaでした。