ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (38) 1346年 クレシーの戦い

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1346年 クレシーの戦い」。






まずは、
こちらの写真をご覧ください。

ウィキペディア・コモンズから拝借。





これは、
1346年8月26日に、
イングランド VS フランスの百年戦争の一環として戦われた、
クレシーの戦い。





フランス北部、
港町カレーの南にあるクレシーの有名な戦いで、
今では観光名所になってるとか。






ご覧いただきたいのは、






弓。






この戦いは、
イングランド軍の圧勝だったんだけど、







決めては、






長弓。






長弓は、
当時の最新鋭兵器で、





取り扱いは難しいけど、
フランス軍が使っていた弩弓(どきゅう)とは、
比べものにならないくらいの優れもので、







これで、
バンバン射られて、







イングランド軍は12,000、
フランス軍は30,000〜40,000の軍勢と、
数では勝っていたフランス軍が、
12,000くらいの犠牲者を出して大敗、






フランス軍は、
11人のプリンスを含む大量の死者を出した。






それで、
この絵じゃ、
あまりよくわかんないんで、
もう一枚さがしてきました。










はあ?
これは、何のケツだ?






ブタ?
ウマ?






たった一日で、
12,000人の死者を出すなんて、
どんな激しい戦いかと思うけど、







こんな接近してたら、
そら、
やられるわな・・・






それで、
クレシーの戦いで手柄をたてたのは、
こちらの方、

エドワード黒太子。




エドワード3世の長男です。






エドワード3世と王妃フィリッパの間には、
実にたくさん子どもがいて、






家系図書いてみました。

フィリッパさま、
最初の子を16歳で産んで、
生涯で12人の子を出産、
最後の子は41歳の時の子です。






す・ご・い・・・






毎度ながら、
こういうの見てると、
人間の体力とはなんぞやという、
深淵なる命題にしばし思いをはせたくなる・・・






エドワード黒太子は、
ホント、
できのいい息子だったんだけど、







46歳の時、
父親であるエドワード3世よりも先に死んでしまって、







エドワード黒太子の息子、
リチャード2世が、
わずか10歳で即位するんだけど、






もう一度、
家系図ご覧いただくとおわかりのように、
エドワード黒太子の弟たち(つまりエドワード3世の息子で、リチャード2世のおじさんたち)が、
み〜んな男盛りで健在で、
家系図で□でかこってる人たちです)








こんだけ、
王位継承権を主張できる人間がそろっていれば、
やることはひとつ、






王位継承戦争。







それが、
後に起こった、







薔薇戦争(1455〜85)につながっていったわけです。






・・・ということで、本日の結論 :






フィリッパさま、
おつかれさまです。





子どもが多いってのも、
苦労が多いものなんですね・・・






Victoriaでした。