ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (39) 1347年 「カレーの市民」の伝説とフィリッパの涙

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1347年 「カレーの市民」の伝説とフィリッパの涙」。

1346年、
クレシーの戦いの勝利で勢いづいたイングランド軍は→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (38) 1346年 クレシーの戦い - Victoriaの日記
港町カレーを落城、







カレーは、
百年戦争を通じて、
ずっとイングランド領であり続けた。






カレーは、
ここです。

フランスの一番北の端、
イングランドはすぐ目の前。






山川出版社世界史総合図録p48より。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録



ただ、
エドワード3世は、
カレー落城に、
相当手こずっており、
カレー包囲戦は、
約1年続いた。






なぜ、
こんなに手こずったかというと、
カレーは、
イングランド軍の大陸拠点として、
願ってもない立地条件にあり、






なるべく、
損害を与えず、
無傷の状態で手に入れる必要があったためで、







カレー市民は、
フランス側からの補給も途絶える中、
しぶとく抵抗していたんだけれども、
ついに降参し、
開城を決める。






開城にあたって、
エドワード3世が出した条件というのが、







市民を助けるかわりに、
代表6名が、
裸で首に縄まいて出頭せよ!
(その後は処刑に決まってる・・・)






そして、
勇気ある市民6名が、
言われたとおり、
やせ細った体をさらしつつ、
城門へと歩いた。







という感動のシーンを表したのが、
ロダンの傑作、
カレーの市民







ウィキペディアより拝借しております。
これ、
世界に12コ、
あるんだって。







なので、
ご覧になった方もあるかもしれません。








カレーの市民」が見られるのは、
以下の12箇所。






– カレー市庁舎
コペンハーゲンのニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館
– ベルギー・マリーモンの王立マリーモン博物館
– ロンドン、ウェストミンスター宮殿のヴィクトリア・タワー・ガーデン
フィラデルフィアロダン美術館
– パリのロダン美術館
バーゼルバーゼル市立美術館
ワシントンD.C.スミソニアン博物館のハーシュホーン博物館と彫刻の庭
– 東京の国立西洋美術館
カリフォルニア州パサデナノートン・サイモン美術館
– ニューヨークのメトロポリタン美術館
– ソウルのサムスン芸術文化財ロダン・ギャラリー






日本にもあるじゃないか!!!






なぜ12箇所かというと、
フランスの法律で決められているから。







さすが、
文化の国フランス、
いろいろ、
細かい決め事があるんですね・・・







それで、
決死の覚悟で出頭した6人の市民ですが、
エドワード3世は殺す気マンマンだったらしいが、
王妃のフィリッパが涙ながらに止めたんだそうで、







生まれてくる子どもに、
殺戮は悪い前兆になるからやめて!!!








フィリッパさま、
すてき❤







フィリッパさまとは、
エドワード3世との間に、
実に12人の子どもをもうけた方、







それで、
1347年時点で、
生まれてくる子どもとは、
誰だったんだろうと調べたところ、







11番目のお子さんですね、
はい、
生後すぐ亡くなってます。






フィリッパの必死の懇願かなわず、
死んでしまって、







・・・ということで、本日の結論 :






妻が妊娠中は、
あんまりむごたらしいことはやらないでね❤








それで、
この1347年という年号に注目いただきたいのですが、
実は、
翌年、
ヨーロッパでは大変なことが起こってます。







ペスト流行。

はっきりいって、
戦争よか、
ペストの方が何倍もこわい・・・







身分を選ばず、
バタバタ死んで行ったから、






ということで、
百年戦争は、
しばし休戦(1355年まで)。







もしも、
ペストの流行が終わった時に、
生きてたら、
また戦場で会おうぜ・・・








Victoriaでした。