ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (43) 大明暗黒政権の始まり 文字の獄と功臣の粛清

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権の始まり 文字の獄と功臣の粛清」。

さて、
再び舞台は中国へ、
この話の続きです→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記






ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6」
第3部のタイトルは、
「大明暗黒政権」。






草原地帯から馬に乗ってさっそうとやってきた、
騎馬民族のモンゴル政権が、
カラっとして、
明るかったのに対し、






江南出身の明政権は、
どよ〜ん!として、
暗い話てんこ盛り、







それが、
ひとえに、
初代皇帝朱元璋光武帝の性格のせいだという話を、
これからしようと思うんだけど、

ウィキペディア・コモンズから拝借)






朱元璋は、
ものすごい貧民の生まれで、
中国のみならず、
全世界で、
最も貧しい境遇から王朝を興したと言われているんだけれども、








いろいろと性格的に問題がある人で、








一切他人を信用することができなかったという話は、
すでにみた通り→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記








他にも、
文字の獄というのをやっていて、





例えば、
「光」「禿」「僧」などの字を使うのは御法度で、
なぜかというと、
昔、
洪武帝は僧侶だったんだけれども、
それをあてこすったとされて、
殺されたとか、







あるいは、
光武帝は、
昔、
盗賊だったんだけど、
「盗」と発音が近いからという理由で、
「道」の字を使った者は殺されたとか、






結局、
理由はどうでもよくて、
自分よりもデキるやつが周りにいると落ち着かなく、
片っ端から殺してしまったという感じ。







ほかに、
「空印事件」というのがあって、








なんでも、
当時、
官僚の間で、
文書作成の手間を省くため、
あらかじめ、
白紙に承認印だけ押しておき、
あとから、
報告書をつくるという流儀がはやっていたそうなんだけど、








それに気づいた光武帝が、
印を管理している者を、
全員粛清してしまったとか、








いや、
そんなことしてたら、
人材、
いなくなっちゃうでしょう・・・???







実際、
光武帝が殺したのは、
敵というよりは、
彼に協力をおしまなかったインテリとか軍人が中心で、
そういう人たちを、
ガンガン殺しまくって、
一説によると、
10万人殺したそうだけど、







そんなことやってたら、
残るのは、
光武帝の顔色ばかりうかがうような人間ばかり、
国の活力も何も、
あったものではない・・・








てか、
誰か、
光武帝を暗殺しようというヤツは、
いなかったのか・・・???








ねえ?
王様は、
戦に敗れるか、
身内に毒殺されるかで、
寿命を全うできないのがお決まりな時代にあって、








なぜ、
70歳まで、
周りにいるものをガンガン殺しながら生きながらえることができたのか、
多いに疑問である・・・









Victoriaでした。