ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (45) 大明暗黒政権 1371年 海禁令

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1371年 海禁令」。

さて、
元末期に中国で起こった紅巾の乱では→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記
国中が疲弊してしまって、





江南地帯は、
農業も盛んで、
さほど影響は受けていなかったが、




華北は一面荒野が広がり、





また、
元の時代には、
紙幣が発行されていたんだけれども、
明政権に、
紙幣を循環させて経済を活性化させることの意味がわかる者がいなかったらしく、
かといって、
銅銭を発行する力もなくなって、
一時的に、
実物経済に依存せざるを得なくなり、







要するに、
農業を主な産業として、
商業には頼らないという、







農本抑商と自給自足







が国の政策となった。







もちろん、
建国者である朱元璋が、
貧農出身で、
農業資源をすごく重視したということが、
そのベースにはあるんだけれども、






朱元璋の個人的な資質(農業大好き商売キライ)と、
国の状態(戦争で疲弊・混乱していた)が合体して、
さまざまな政策が打ち出されていったようです。







そのひとつが、







海禁令。







海禁令により、
私貿易が制限され、
貿易は、
政府の管理下におかれたわけだけど、






当初の目的は、






倭寇対策。







この時代は、
倭寇全盛期で、





1368年から1374年6年間で、
倭寇の襲撃は23回!






朱元璋と戦って破れた張士誠の残党も、
倭寇に混ざっていっしょになって襲って来たため、
倭寇はますますパワーアップ、






困った政府が、
何はともあれ倭寇(=日本人)と残党(=中国人)の分断をはかるため、
導入したのが海禁令で、







以上の経緯をまとめると、
海禁令を導入した当初は、
密貿易の取り締まりは目的ではなく、
純粋に、






倭寇コワイ〜〜〜








だった模様・・・







・・・ということで、本日の結論 :






海の男は強し!







Victoriaでした。




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5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記