ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (46)大明暗黒政権 1374年 市舶司の廃止

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1374年 市舶司の廃止」。

さて、
倭寇取り締まり対策の一環として、
1371年に海禁令を発令した明政権は、
1374年、
市舶司の廃止を決めたため、
モンゴル政権のグローバリゼーションの波に乗って、
海でブイブイいわしていた貿易商人は、
廃業か倭寇になることを迫られるんだけど、






市舶司は、
唐の時代、
714年に玄宗が広州に設置したのが始まりで、
966年、
北宋建国後、
整備された、
それはそれは長〜い歴史のある官庁で、





それを、
あっさり!
廃止してしまうあたり、
朱元璋も、
なかなか思い切りのいい方で・・・







海禁+市舶司廃止で、
中国の貿易はどうなってしまったのか?








答 : 朝貢貿易+密貿易。







密貿易は、
読んで字の如くなのでおいといて、






朝貢貿易なんだけど、






山川出版社世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

朝貢貿易 : 中国が朝貢国と行う恩恵的な貿易形態。中国は朝貢(皇帝の徳に敬意を表して貢ぎ物をすること)をしてきた国に対し、恩恵として返礼品を与えたので、これは一種の貿易であった。朝貢国にとり、この返礼品は大きな利益となったので、朝貢回数を増やすことを望んだが、中国は、年度、数量、人数、経路と出入港、取引商人、貿易品目、滞在日数などの制限付きで許可を与えた。このような貿易形態は、16世紀に渡来したヨーロッパ人にも適用された。







朝貢貿易は、





中国が周辺諸国と形式上の君臣関係を結ぶことで形成された国際秩序=冊封体制





があったからこそ、
成り立つ貿易形態なんだけれども、





実は、
倭寇に手を焼いた朱元璋(=洪武帝)は、
日本へ鎮圧を要請しており、






その見返りとして、






日本に有利な条件で、
勘合貿易を行うことを約束、






おかげで、
足利義満は莫大な利益をあげ、
ホックホックだったらしい・・・






なるほどね・・・
そのゼニを使って、
こんなこととか、
あんなこととか・・・

ウィキペディア・コモンズから拝借)







Victoriaでした。



・・・


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5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記