永遠の愛を求めて (6) 愛とは執着しないこと

こんにちは。Victoriaです。

いつも、
精神世界の深い洞察をブログにお書きになってる人がいて、
更新されるのを楽しみに待ってるんだけど、








ただ、
そういう深い話って、
毎日、毎日できるものでもないから、
すごく更新が空いちゃうのが残念、








で、
その方が、
久しぶりに今日、更新なさっていたので、
訪問してきたら、
やっぱり今日も深い話で、








この世の中で、
人間の意思の力で実現できることはほんの数パーセントに過ぎず、
9割以上は人間の力の及ばないところにあるものに支配されており、








強く願えば、
必ず願望はかなう、っていうけれど、








ああなりたい、
こうしたい、
そんなふうにあまりにも強く思いすぎて、
結果に執着しすぎると、
かえってその執着心が、
体験に制限をかけてしまうのではないか、








自分が思いもよらなかった結果が用意されていることも多いのだから、
もっと柔軟に、
流れに身をまかせたほうが、
大きな喜びが待っているのでは?










そういうお話だった。









う〜ん、
そうよね、
たしかにそのとおりだなあ・・・って、
納得してページを閉じたんだけど、









永遠の愛というのも、
同じようなものなんじゃないか、
愛がほしい、ほしいと、
あまりにも強く思いすぎて、
執着してしまうと、









せっかく目の前に現れた愛を、
これって永遠よね?
そうよね?
なんて、
しつこく、しつこく確かめたくなってしまい、










そもそも、
愛にそういう疑いを持つという行為自体が、
結果として愛を遠ざけてしまう、











そんな、
残念な結果になるんじゃないか、
そう思って、
明らかに永遠の愛があるな、と思える人の周りを見てみると、
それは運命の出会いがあったからそうなったというよりは、
その人がもともと持ってる愛情力が、
逆に運命をひきよせているといったほうがよく、










だから、
永遠の愛に恵まれている人というのは、
赤い人で結ばれた、
この世でたった一人の誰かにたまたま出会ったからそうなったのでは決してなく、









どんな出会いであっても、
そこに愛を見いだし、
それを持続する力があったからこそ、
結果として、
愛情が切れ間なく続いていき、
後から振り返って、
これは永遠の愛だったんだね、ってわかる、
そんな感じなんじゃないかなと思う。











若いころの出会いは、
ビビッと来た時の衝撃もすごいけど、
ダメになるのもあっという間で、
もう少し出会うのが遅ければ・・・と悔やむことも多いけど、










あれも、
人生経験があまりにも少なすぎ、
愛をはぐくむという言葉の意味がまだわからなくて、
ただやみくもに情熱をぶつければ必ず相手に伝わる、
そんな稚拙な思い込みで突っ走ってしまうがゆえの過ちで、












アラサー、
あるいは、
アラフォー超えてからの出会いは、
打って変わって安定した関係を築けるのは、











本当の相手に出会うのに、
ウン十年待つ必要があったというよりは、
愛を持続させる能力が、
数々の失敗をしてやっと追いついてきた、
そういうことなんだろうと思う。











そう考えると、
恋のベースにあるのは、
動物的なカン、
つまり、
この人とヤリたいという、
オス、メスとしての根源的な欲望にあるわけだけど、












愛のベースにあるのは、
愛をプロデュースする力、
愛を持続する力、
あるいは、
消えかけた愛の灯をよみがえらせる力、
そういう個人の能力であって、
決して出会いのあるなしではない・・・










・・・ということで、本日の結論 :










永遠の愛は、
愛をプロデュースする力のある人のところには、
必ず訪れるものである。












そう考えると、
愛って残酷。











だって、
人生の通知表みたいなものだから・・・










Victoriaでした。



・・・


永遠の愛を求めて バックナンバーはこちら。
永遠の愛を求めて (1) 永遠の愛って何? - Victoriaの日記
永遠の愛を求めて (2) 仔犬系男子 - Victoriaの日記
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