くりーむパンの八天堂 広島みはら港町 本社工場訪問レポート(6) 八天堂の名前の由来

こんにちは。Victoriaです。

さて、八天堂 三原港町本店から本社までは、車で連れて行っていただきました。
初めての土地なので、距離感覚がつかめませんでしたが、少なくとも、歩く距離ではなさそうでした。


着きました。
これが本社です。

看板を見ると、老舗の和菓子屋さんの雰囲気です。

全面ガラスの明るい建物。

こちらは、後から増築なさったそうです。
ログハウスのような雰囲気。
前には桜の木が植えてありました。
「たくさんつぼみがついているので、春になるのが待ち遠しいです」
とのこと。

社長さんのお話では、今はブロック塀になってるところに、ずっと木を植えるおつもりだとか・・・
うん、そのほうがいいと思う・・・

バルセロナサグラダファミリアを見たとき、太陽の光が不規則な形の窓から入ってくるのがすごく自然な感じでよかったんだけど・・・
ガウディは、木漏れ日をイメージして設計したらしいのね・・・
木漏れ日って、人間に安心感を与えるのよ。
やっぱり、人間も、二足歩行を始める前は、森の中で木に登ったりなんかしてたわけだから、そういう太古の昔のDNAが本能を呼び覚まされるんじゃないかしら・・・

・・・
さて、中に入ると、早速社長とご対面。
株式会社八天堂三代目 森光孝雅社長でございます。

社長とは、正面のガラス張りの、日がさんさんとふりそそぐ明るい部屋で、お話を聞かせていただきました。

テーブルは特注。

ご覧いただけますでしょうか。
テーブルのデザインが、八天堂のロゴと同じ、八角形になっております。

八天堂という名前の由来ですが・・・

創業者である森光香氏が和菓子屋を興した時、地元に「八天堂」というお堂があって、その名前をお店の名前にしていいだろうかって、地元の人たちにおうかがいをたてたんですって。

お堂はみんなのものだから、勝手に名前を借りちゃ悪いからね・・・

それで、みんなにいいよいいよって言われて、名乗るようになったそうです。

創業が昭和八年なので、その八かと思いましたが、それはたまたまの偶然だとか・・・

それで、昭和40年、二代目の社長になった時に、それまでは和菓子屋だったのが、洋菓子も取り入れました。
昭和40年といえば、東京オリンピックの翌年で、東海道新幹線が開通した翌年でもあるから、食生活もだんだん洋風になって来た時代。
八天堂も、時代の流れとともに、商品を変えてきたわけです。

そして、パン屋で修行を積んだ現社長が社長職を引き継いで、パン屋へと成長させることになります。

パン屋のころは、八天堂という名前ではなく、別の屋号(三つあったそうです)で幅広く店舗を展開。
卸もしており、作るパンの種類も百種類を越えていたそうです。

順調に拡大しつつあったのに、なぜ、パン屋をスパッとやめて、くりーむパン一本に絞ったのか・・・

そのお話を、社長の口から直接うかがいたくて、遠路はるばる三原まで出かけていったのでありますが、社長はそんなVictoriaの気持ちに見事こたえてくれました。

くりーむパン八天堂誕生のいきさつとは・・・?

Victoriaでした。