クイーン フレディ・マーキュリーの愛とセックスと音楽 後半

こんにちは。Victoriaです。

さて、引き続き、"Freddie's Loves" を見ております。

世界中でセックスざんまいの日々を送っていたフレディは、
自分のことを "mother" と呼び、
愛人たちの世話を焼きたがった。

実際、愛人たちには一人残らず女の名前をつけ、
"daughters"と呼んでいる。

このころの彼は、


1 常に新しい恋をさがし、それを創作の原動力としていた


一方で、


2 長く続く、永遠の愛を求めていた


が、どの関係も長続きはしない。

原因は明らかにフレディのほうにあり、

どんなに熱い関係を築いていても、

「ゴメン、新しい人を見つけちゃったんだ」

で終わり。



様々な男たちが、入れ替わり立ち替わりフレディの人生に入ってきては出ていったわけだが、

そんな中でも、恋人関係を解消した後も、友情が続いた人たちは、

ずっとフレディの身の回りにいて、彼を支え続けた。

フレディのシェフをつとめたJoeとか、
身の回りの世話係をつとめたPeterなどは、
フレディが死ぬまでずっといっしょに暮らしている。



恋愛関係を長続きするのは苦手でも、
いったん友情が芽生えると、
それは永遠に続くタイプだったようである。



とにかく、恋をさがすことにはどん欲で、

例えば、街を走っているタクシーのドライバーに好みの男を見つけたら、
その場でリムジンをUターンさせて追いかけたというエピソードも残っている。


このころ、フレディの家の応接間にはカウボーイハットが置いてあった。

「これ、なぜ、ここにあるの?」
と聞かれたフレディ。



「それはね、ナニが固く立っちゃった時に、帽子をひっかけて、
部屋中を歩き回ることにしてるんだ」



って、どんだけ・・・?



イギリスでは有名になりすぎて、自由に恋愛できないことにいらだったフレディは、
ニューヨークに居を移す。


そのころのニューヨークはゲイのメッカであったから、
フレディはとても気に入ったようで、
口ひげをはやし、
革ジャンなど硬派な服装に目覚めたのもこのころ。


コカインもバシバシやっていたらしい。


ただし、フレディの場合、
ハイテンションになるのに、必ずしもコカインを必要としたわけではないので、
ヘビーなユーザーではなかったらしい。


ニューヨークにいたころ作ったのがこれ。

Body language。

フレディのsexual fantasy (性的妄想)が余すところなく表現されている作品で、
かなり危険です。

18禁です。


・エロい映像がキライな方
・今、エロい映像見ちゃって、ナニがナニすると困る方


は、見ないでね・・・


ニューヨークでは、お気に入りの取り巻き連中を引き連れ、
クラブに出没し、
気に入ったコがいなければ、ドリンクには手をつけず、
すぐに次の店にGO!
っていう大人の遊びを夜な夜な繰り広げていた模様。



ただ、そのころつきあっていたアメリカ人の彼が暴力的で、
コンサートの前日に、手のひらにかみつかれ、
ピアノが弾けなくなるハプニングがあり、
アメリカに別れを告げることに・・・



次の行き先はドイツ。

そのころ、ミュンヘンのゲイコミュニティは熱かったので、やはり、男漁り・・・のはずが、
ここで、想定外の事態発生。



フレディ、久々に女に惚れてしまった・・・



バーバラ・バレンタインという女優で、
フレディ以上にいっちゃってる彼女とは、大変ウマがあったらしい。

フレディよりもはるかに素行が悪くて有名だったのも、彼女といてほっとする理由だったようだが、
やはり、問題が・・・



やっぱ、女とは、ダメだわ・・・



一説によると、男とのセックスは抜群だったフレディ、
相手が女になると、イマイチだったとか・・・


何が違うんだろうね・・・?


具体的な問題点に興味津々なVictoria・・・



80年代になると、AIDSが流行しだしたため、
乱交をやめる人たちも出てきたけど、
フレディは引き続きやりまくる人生を続行。



つきあっていたバーバラ・バレンタインに捧げた歌がこれ。

It's a hard life. (永遠の誓い)


映像をご覧いただくと、かなりイっちゃった内容で、
バンドのメンバーは、明らかに嫌がっております。

実際、このころのフレディにはついて行けなかったらしく、
もう、ツアーはやらないなんてことが決まったりなんかして、
解散か・・・と言われたのもこの頃。



おそらく、このころのフレディは、かなり孤独だったらしく、


Living on my own では、



lonely, lonely...
(さみしい、さみしい・・・)
を連発。



30代半ばにして、
どの恋人とも関係が長続きしなければ、
それは、むちゃくちゃさみしかっただろうね・・・
その気持ち、めちゃくちゃよくわかる・・・




しかし、ついにフレディにステディな恋人出現。

ミュンヘンからロンドンに帰っていた時、
偶然、ジムを発見。

その時、フレディがかけた第一声は、



「キミのあそこって、デカい?」



だったらしい・・・



とにかく、ジムとはセックスの相性が抜群によかっただけでなく、
話もできたのが長続きのポイントらしく、
おそらく、メアリーをのぞけば、
本当に愛していたのはジムだろうとの話。



最初は、まだ、ミュンヘンの男とも切れてなかったんだけど、
ジムに、
「オレとつきあうなら、前の男と別れてほしい」
と言われて、あっさり別れ、
ロンドンに戻ってきて、Garden Lodgeという豪邸を建てて、ジムを庭師として住まわせた。



ようやく家に落ち着くことができ、
家を好きなように飾ったりして、
このころのフレディはおそらく人生で一番幸せだったのではないかと、
友人たちは言っている。


伝説にもなったLive Aidのコンサートがあったのもこのころで、
ジムとの関係が順調だったため、
あのようなエネルギッシュなパフォーマンスが出来たのだろう。


たしかに、退廃的なところが全く消えて、
プラスのエネルギーに満ちあふれている感じ。


このころ、フレディはメアリー、ジム、それに元愛人たちと同居していて、
やっと幸せをつかんだ矢先だったのだが、
それまでの乱交がたたり、エイズ発病。



エイズのことは、ジム以外には長く隠していたようで、
周囲は察してはいたのだが、マスコミに追いかけられると

「フレディがエイズ? 聞いてないよ」

とみんなウソをついていたため、
フレディも簡単にカミングアウトできなくなってしまった。

もし、「ボクはエイズです」
って言うと、
周囲の人間をみんな嘘つきにしてしまうから。



結局、マスコミ発表したのは、なんと、エイズで亡くなる当日。



自宅で、愛するジムや友人たちに囲まれて亡くなった。



・・・

長い長いフレディの愛とセックスと音楽の物語を振り返ってみると、

フレディが、

「ボクの音楽には何のメッセージもないよ」

と言ったことが思い出される。


それはそうだろう。

フレディにとって、音楽とは愛の歌であり、

愛というのは、まさに現在進行形の愛をさしたわけだから、

はっきり言って、作った当時は、たった一人の人に向けて書かれていたわけだ。

驚くほど個人的な内容なわけだけど、

結局、芸術作品というのは、個人的であればあるほど、

普遍的であるということを見せつけられた思いがする。



これは私の個人的なことではあるが、

マッチョな男が好きで、

インテリタイプはお呼びじゃなかった(だからバンドメンバーとはプロフェッショナルな関係をつらぬくことができた)

というあたり、好みが一致していて、大変嬉しい。




フレディの恋愛遍歴から学んだことは、


1 自由奔放な恋愛が楽しめるのはぎりぎり30代半ばまで。
2 放蕩のかぎりを尽くしたあとに、永遠の愛が待っている。
3 永遠の愛は、セックスしなくなってから初めて訪れる。




・・・ということで、本日の結論 :

セックスをやりまくりたければ、20代のうちに。
永遠の愛が訪れるのは、セックスに疲れた30代になってから。
あきらめず、気長に待つべし。



Victoriaでした。