ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (23) 1303年 アナーニ事件

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1303年 アナーニ事件」。





さて、
ボニファティウス8世 VS フィリップ4世の争いは、
1303年のアナーニ事件でクライマックスを迎えます。





ボニファティウス8世 憤死。





憤死って何?





「怒りのあまり死んでしまう」という意味だと思うんだけど、
ホントに、
そんなことってあるの?





この事件は、
ボニファティウス8世の避暑中に勃発、





フィリップ4世は、
腹心の官僚(レジストと呼ばれる)、
ギヨーム・ド・ノガレをイタリアに派遣、
軍に追いかけられたボニファティウス8世は、
生まれ故郷のアナーニという山間の町に逃げ込んだが、
捕獲され、






アナーニの住民らの協力で、
ボニファティウス8世は逃げることができたんだけれども、
あまりの怒りに、
ついに死んでしまったという話。





怒ると、
頭に血が上って、
いろいろとよろしくないから、
命にかかわる事態になることもあるかなとは思うけれども、





調べてみると、





ボニファティウス8世を捕獲したギヨーム・ド・ノガレという人物は、
実は、
個人的にボニファティウス8世に恨みを抱いており、






両親が異端審問で火刑に処せられて死んでいるので、
復讐に燃えていたらしい、





そんな人の手にかかって、
逃げおおせたとはいうものの、
3週間後に死んだと聞けば、
何かあったと思うのが普通、





真相は、
今となっては闇の中だけれども、






ボニファティウス8世はフィリップ4世(少なくとも彼の部下)によって殺された?






実際、
この後、
フランス王は教皇権に対する優位を勝ち取り、
教皇アヴィニョン捕囚へとつながっていく・・・






・・・ということで、本日の結論 :







中世の教会の歴史は、
血なまぐさすぎてコワい・・・






Victoriaでした。