ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (31)金・宋和議と、岳飛VS秦檜

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「金・宋和議と、岳飛VS秦檜」。

1127年、
靖康の変が起こり、
皇帝欽宗が金によって北に連れ去られて北宋は滅亡、







幸運にも生き残った欽宗の弟高宗が、
南に移り、
南宋を開く。
都は臨安(杭州)。








この頃、
カンボジアでは、
アンコール朝のスールヤヴァルマン2世により、
アンコール・ワットが造営されいている。









北宋時代にも北方民族には苦しめられたが、
南宋になってもそれは同じ、








宋国内は、
北方民族と戦うべしとする主戦派と、
和平を結ぶべしとする和平派に二分され、











最初は主戦派の岳飛(がくひ)らが北伐の軍を結成、
金に戦いを挑み、それなりの戦果をあげていたが、










和平派の秦檜(しんかい)がそれを阻止。









秦檜は靖康の変で北に連行されたが、
後に解放され、南宋に帰って宰相に就任した人物で、








金に戦いを挑んでも勝てるわけがないから、
お金で平和をあがなうのがよいと考え、
北宋時代と同じくODAで和平を買おうとした。(→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (4) お金で平和を買うODAだったせん淵の盟 - Victoriaの日記









そのため、
国民的人気のあった岳飛を殺し、
他の主戦派の将軍の身分を落とすなど、
恐怖政治をしき、
宰相として実に19年間独裁者として君臨した。










彼が金との間に結んだ和議を、
紹興の和議(しょうこうのわぎ)と呼び、








南宋はかつての首都開封を含む北部の領土を放棄、
金(国名)に毎年お金(ゼニ)を払うことで合意、
政局は安定した。






お金を払って平和を手に入れたという意味では、
せん淵の盟と同じだが、









せん淵の盟では、
宋は遼の兄という位置づけだったのに対し、
紹興の和議では、
宋は金に対して臣として仕えることになっており、
これが宋の人々にとって到底受け入れがたい屈辱であったことは、
想像に難くない。









秦檜が金の意をくんで行動していることは明らかで、
靖康の変で北に連行された時、
彼ひとりだけ厚遇され、
解放されていることを見ても、








秦檜は金の工作員???









という疑惑は、
誰もが抱いていて、
皇帝高宗ですら、









秦檜が生きている間は、









「彼のような宰相に恵まれ嬉しくて夜も眠れない」









と手放しのほめようだったのに、
秦檜が死ぬと、









「今日からは匕首を靴の中に隠さなくても夜ぐっすり眠れる♪」









と言ったとか・・・







・・・


北に連行された兄の欽宗を、
金が解放して宋に戻そうとした時、
すでに皇帝に即位していた高宗は、
自分の地位がおびやかされると考え、
帰国を阻止したと言われており、










高宗の即位自体、
戦争のどさくさまぎれにされたもので、
正式な手続きを踏んでいなかったということを考えると、









高宗も自分の地位を安定させるために、
金と手を結ぶ必要があった???














・・・ということで、本日の結論 :








12世紀の世界、王朝の交替は、
西も東も陰謀だらけ、
王家の男は畳の上では死ねない。











・・・


生きている間はわが世の春を謳歌した秦檜だが、
死後の評価はさんざんで、








秦檜によって反逆罪で殺された岳飛が、
死後、
愛国者としてあがめたてまつられ、
岳王廟が建立されると、







その前に秦檜夫婦が鎖でつながれた像が建てられ、
それに向かってつばを吐きかけるという習慣ができ、
なんと最近までここは「つば吐きスポット」として、
多くの人々が訪れたという。








秦檜の銅像が造られたのは、
1513年なので、
500年近く、
つばを吐き続けられたことになる。














民族の誇りを傷つけられた恨みは、
永遠に消えないのね・・・








Victoriaでした。



・・・


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