青木理「トラオ 徳田虎雄 不随の病院王」

こんにちは。Victoriaです。

さて、
最近、
ジャーナリストの青木理さんの名前を聞く機会が何度かあり、
どんなお仕事をしていらっしゃるのか興味を持ったので、
まず、これを読んでみた。

ルポ 拉致と人々――救う会・公安警察・朝鮮総連

ルポ 拉致と人々――救う会・公安警察・朝鮮総連

「ルポ 拉致と人々」。






帯には、
「なぜ、拉致問題は動かないままなのか」という文字が躍っていて、
救う会公安警察朝鮮総連らが、
拉致問題を解決に導くどころか逆に膠着状態に陥らせてしまっている現状についての詳細なルポがされているんだけど、
読み終わって、全然すっきりしなかった。








拉致問題が大きく動いた2002年前後の動きが中心のルポなので、
やや古い感じがするのと、








警察、検察の動きの背後には、
拉致問題解決に特別の思い入れのある安倍政権の思惑があったというふうに書かれているんだけど、
肝心の安部元総理の真意がいまいちよくわからないので、
???









拉致問題が、
結局、小泉元総理が被害者を迎えに行ったのを最後に、
膠着していることだし、
この問題はどこをとってもすっきりしないんだ、という理解で、
よいのだろうか???













と、やや消化不良ぎみなので、
続いてこちらも読んでみた。

トラオ―徳田虎雄 不随の病院王

トラオ―徳田虎雄 不随の病院王

「トラオ 徳田虎雄 不随の病院王」。








こちらは打って変わって、
もう、おもしろいの、なんの、
やっぱり、
おもしろい人を書いたルポはおもしろいんだって、
つくづく感じるんだけど、








この表紙の写真の、
目がギョロっとした人が徳田虎雄氏。







徳田氏は、
現在、
ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中で、
声は出せず、
意思表示は、
ひらがな、数字が書かれた文字盤を、
トレードマークのギョロ目でひとつひとつにらみつけることによって行っている。








しかし、
ただ者ではない徳田氏、
この状態で、
いまだに日本最大の民間医療グループ徳州会の経営トップとして、
日々、病室から指示をとばしているという。










徳州会とは、
北海道から沖縄までに66の大病院を擁し、
日本全国に展開する医療施設は280余、
2000人の医師を抱え、
職員の総数は2万5000人、
それだけの組織を束ね、
経営していくだけでも大変なのに、










徳田氏は、
自由連合代表で、
衆議院議員を4期つとめた政治家でもある。









徳田氏の名前は記憶になかったんだけど、
徳州会で思い出したのが、
臓器売買事件で一時騒がれた万波誠医師がいる、
宇和島徳州会病院。










あれは臓器売買にヤクザがからんでいたとかで、
すごく衝撃的だったのでよく覚えている。











徳田氏が発足させた自由連合も、
代表の徳田氏の名前は記憶になかったんだけど、
ほかの議員の先生方のことは覚えていて、
経済学者の栗本慎一郎先生とか、
元外相柿澤弘治先生、
あと、都会のど真ん中で刺客に殺された石井紘基先生とか、
クセのある先生方が多かった気が・・・








しかし、
その中では比較的地味だった徳田氏が、
自由連合の活動資金の出所だったらしい。










徳田氏は徳之島の出身、
子どものころ、
医師の治療が受けられなくて、
本来なら死ななくてもいいような病気で弟が命を落とすという事件があり、
医者になることを決意、
大阪大学医学部を卒業後、
34歳で病院経営に乗り出し、
全国へと展開していく。










故郷の徳之島にも立派な病院を建て、
離島の医療はどこも赤字に苦しんでいるというのに、
なんとか黒字でまわしているという。










経営感覚は抜群で、
2004年、負債総額が1300億円に達した時には、
英国のロイヤルバンク・オブ・スコットランドRBS)から2000億円の融資を受けることに成功、
危機を脱出している。









この時使ったスキームは、
事業証券化=ホールビジネス・セキュリタイゼーション(WBS)といって、
徳州会はまず、全事業を証券化
それを担保として融資を受けるというもの。











この融資により、
日本国内の金融機関からの負債を全額返済したばかりか、
新たな病院建設資金までを手にいれた。








すごいのは、
直後にRBSをさっと切り、
日本国内の金融機関に乗り換えたということで、









一気に負債を返済されてあわてた日本の金融機関からは、
有利な条件で融資を受けられたし、
乗り換えたとたん、
リーマンショックRBSが経営危機に陥ったという、
まことに鮮やかな経営手腕である。











病院経営だけで、
人生十分忙しいんじゃないの?という徳田氏が、
なぜ政界に打って出たかというと、









離島に病院をたてるためには、
政治力が必要だから。









最終的には、
総理大臣になるんだと豪語していたそうだが、
不幸にもALSを発症し、
その夢はかなわなかったが、
今ではかえって病院経営だけに集中することができ、
よりきめ細かな指示を出せるようになったらしい。








・・・


さて、
徳田氏の出身地、徳之島は、







選挙が第四次産業







と呼ばれるほど、
選挙に燃える土地柄だったが、










徳田氏が立候補するまでは、
自民党保岡興治議員の牙城となっていた。








そこに、
地元出身の徳田氏が名乗りを上げたのだから、
徳之島は島をあげて徳田氏支持にまわり、
熾烈な「保徳戦争」の火ぶたが切って落とされた。









お金で票を買う買収を始め、
二人の当落をめぐる選挙とばくもヒートアップ、
もちろん逮捕者もズラズラ出た。









結局、
徳田氏は、
1983年、1986年の二回の衆院選では落選、
3度目の正直でのぞんだ1990年にようやく初当選を果たしている。









「保徳戦争」は、
町長選でも代理戦争の形をとって続き、









わずか104票差で保岡派が勝利したが、
不在者投票をめぐる不正疑惑が浮上、
選挙は無効となり、
1年以上にわたり町長不在という異常事態をまねく結果となった。











不在者投票は、
得票する一番確実な方法といわれ、
買収の温床となっているんだけど、










そのからくりは、
買収した相手の気が変わらないように、
投票日まで待つことなく、
運動員が強引に不在者投票に連れていって、
ムリヤリ名前を書かせるというもの。











よくわけのわかっていない半分寝たきりの高齢者などが、
候補者の名前を忘れないよう何度も連呼しつつ、
むりやり車いすでやってきて投票している光景などよく見かけるけど、
ああいうのもあやしい。










それで、
不在者投票で不正が発覚した徳之島で、
警察が調査をしたところ、
なんと、
選挙をとりしきっている選挙管理委員会がその不正に関与していたことがバレてしまって、









警察に追われた選管の委員長が逃げ込んだ先は、
徳之島徳州会病院。









委員長は手術室に運び込まれ、
院長自らメスをもって緊急手術を始めてしまう。










執刀医は選挙で敗れた徳田派の候補者の弟で、
病名は「腹壁瘢痕ヘルニア」。










「腹壁瘢痕ヘルニア」で手術した人を知ってるけど、
お腹の中で腸が動くかなんかして、
空洞?ができてしまうという病気で、
よく赤ちゃんなんかがかかるらしいんだけど、









ぶっちゃけ、
いらない手術だったんだろう、











鹿児島県警の刑事部長が、
緊急会見で涙を浮かべ、
「昨日まで元気だった人物がなぜ手術なのか?非常に残念です」
と言って絶句したというから、
いやはや、ぜひ現場にいて、
一部始終を目撃したかった・・・











これが1991年の出来事で、
田舎の選挙って、
おもしろいよね・・・










やっぱり、
選挙って、
実弾が飛ばないと雰囲気出ないよね・・・









当の徳田氏は、











「人間、一度くらい選挙に出なきゃいかん」












というのが持論で、
選挙となれば徳州会あげて入れ込むから、












ある意味、
選挙のたびに病院内の結束は高まったし、
宣伝効果もばっちりだから、
病院の収入も必ずアップしたらしいんだけど、










徳州会のお金が選挙資金として徳田氏に流れているのは明らかなので、
何度も税務調査でひっかかっている。










当の徳田氏は、
そんなことまったく歯牙にもかけず、
イケイケドンドンでやりまくりって感じ。












徳田氏が、
あまりにも政治的なので、
医師会とはぶつかってばかり、
そういう医師会も、
自民党とズブズブだったから、
一度、
徳田氏が自民党から公認をうけたことがあったんだけれども、
医師会が猛反発、
わずか3日で自民党をたたき出され、
それが自由連合結成につながっていく。












政治家としては、
特に目立った功績はなく、
むしろキワモノ扱いされた徳田氏だが、










資金は潤沢、
しかも、
病院という強固な集票マシーンを持っているので、
右から左まで、
様々な人間が彼のもとを訪れた。










その中には、
石原慎太郎小沢一郎も含まれていて、










2006年に行われた衆院の千葉7区補欠選挙で、
これは前年の総選挙でマツモトキヨシ創業者の孫、松本和巳が当選していたのだが、
選挙運動を手伝った大学生に報酬を支払ったことが買収に当たるとされ、
松本陣営の出納責任者らが逮捕され、
松本議員が辞職したため行われたんだけれども、










選挙の直前に党首になったばかりの小沢一郎
これは負けられないということで、
投票日間近に徳田のもとを訪れた。










もちろん票をくださいということだったんだけれども、










小沢氏嫌いで通っていた徳田氏は面会を拒否、
しかし、その直後、
それまで自民党候補支援で動いていた徳州会グループに、
突然、民主党候補支援を支持する。









理由は、







「今の日本政治には政権交代が必要だ」。













結果、
民主党候補がわずか955票差で当選を果たしており、
徳田氏、
票読みの能力も抜群らしい。









事業家が、
事業にプラスになるようにと選挙に打って出るということはよくあることだけど、
徳田氏の動きを見ていると、
病院の経営にプラスになるから、というだけの理由で、
選挙運動に力をいれているようにも思えない。









それよりも、
もっと根源的な何かに突き動かされてる感じで、










有り余ったエネルギーを振り向ける一つの手段として、
選挙があった、
そんな感じ?










徳田氏を、
神と崇める人もいる一方で、
医師会や自民党など、
敵もいっぱい作ったわけだけど、










徳田氏は政治的なポジションにはこだわらない人で、
いっしょに仕事をやれると思ったら、
誰とでも組む、
そんな現実主義者だったんだと思う、
だから、
徳州会の医師にはいろんな人がいて、










パキスタンアフガニスタンで医療活動を続けている「ペシャワール会」の中村哲氏も、
徳州会の支援を受けているという。









ALSはどんどん進行しているので、
徳田氏に残された時間はもうわずかしかないと思われるんだけど、










たぶん、
普通の人間だったら、
とっくに死んでるレベルなんじゃないかという気がする。








だけど、
徳田氏の生命力が突出していたから、
病床からも陣頭指揮をとれるわけで、
いわば、
冥途から経営してるような感じなんじゃないだろうか・・・









いつ、
生命の火が消えてしまうかわからない状態で世の中を見ると、
どんな風に見えるのか、
眼の筋肉まで弱ってしまうと全くコミュニケーションの手段がなくなってしまうらしいけど、
ぜひ、最後の最後までメッセージを発信し続けてほしい・・・









・・・ということで、本日の結論 :








医者はついつい上から目線になりがちだけど、選挙になると、白衣を脱いで街へ出て、電信柱に頭を下げてでもお願いする立場になり、病院にいるだけでは聞けない生の声に触れて地域での位置を確認することができたって言うのね・・・そういうことも含めて、「人間は一生に一度くらい、選挙に出なきゃいかん」と言ったと思うんだけど、ホント、人の眼にさらされる体験って人間を強くするから、こういう苦労は買ってでもしろってことかもしれない・・・











Victoriaでした。