ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (16) ローマ教皇庁がフェデリーコ2世と対立した理由

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「ローマ教皇庁がフェデリーコ2世と対立した理由」。








ローマ教皇グレゴリウス9世(在位1227〜1241)は、
フェデリーコ2世と派手にやりあったことで有名だが、
高名な法学者でもあり、
異端審問制度を創設したことでも知られる。








実は、
グレゴリウス9世、
教皇に就任した1227年当時、すでに84歳で、
1241年に亡くなるまで教皇職にあったんだけど、
亡くなった時は98歳。








グレゴリウス9世が成し遂げた功績よりも、
そんな高齢になっても、
かくしゃくとして、
若いフェデリーコ2世(1227年当時、フェデリーコ2世は33歳)とガチのバトルを繰り広げたことほうが、
衝撃的なんですけど・・・









33歳 VS 84歳!








日本でも、
特に政界で老害がどーのこーのと言われておりますが、
いやいや権力欲に定年はないのよ・・・って感じ?








・・・


さて、
異端審問制度は、
カトリック教会において、
正統な教え以外の信仰(つまり異端)を持つ者を裁いたシステムで、
いわゆる魔女狩りの一種、







ただ、
魔女狩りは、
キリスト教を信じない人を裁いたものなので、
同じキリスト教徒同士で、
お前の信仰は誤っているといって裁いて、
処刑することもあった異端審問制度とは意味合いが違う。









異端審問自体は、
11世紀頃から増えていたが、
それを制度化したのがグレゴリウス9世。










ローマ教皇庁は、
カタリ派をやっつけるのにかれこれ20年かかり、
最終的には十字軍まで送ったほどで→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (6) アルビジョワ十字軍 - Victoriaの日記










もう、こんなことは二度とゴメンだということで、
早めに異端の芽を摘もうと、
異端審問制度をたちあげた。











異端審問制度を作ったのは、
ローマ教会だけで、
キリスト教の他の宗派にはない。









具体的には、
教皇が直接任命した異端審問官が各地をまわり、
異端審問という名の裁判を行っていたようである。










制度化したことで、
それまで司法権や処罰権がなかった教会が、
堂々と異端者を摘発、処刑できるようになったわけで、
実際、
ローマ教会を強くするのに役立った。









・・・



さて、
教皇庁にとってフェデリーコ2世は目の上のたんこぶのような存在で、
あらゆる局面でことごとく対立しているが、
それは、
宗教的な理由ではなく、
政治的な理由で、










フェデリーコ2世があまりにも有能すぎて、
あまりにも強力な中央集権国家体制をしこうとしたため、
お膝元のローマ教皇庁にとって脅威だったから。











フェデリーコ2世はドイツ王でありながらシチリア王でもあり、
ドイツは比較的諸侯の自治にまかせていたのに、
イタリアでは「皇帝の書」を発布→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (15) メルフィ勅令(皇帝の書) - Victoriaの日記
皇帝の権力は強化され、
教皇庁とはたびたび領土をめぐって戦争をしている。









フェデリーコ2世と対立したのは、
教皇だけでなく、










北イタリアの自治都市では、
それまで認められていた自治権を剥奪して支配しようとするフェデリーコ2世に反発して、
ロンバルディア同盟が蜂起したが、
戦争に強いフェデリーコ2世に勝つすべはなく、
1237年、コルテヌオーヴァの戦いでフェデリーコ2世に敗北している。







しかし、
戦後の講和は難航、
フェデリーコ2世も、
ミラノを屈服させることはできなかった。










常にフェデリーコ2世と敵対している教皇庁は、
この戦いでも北イタリアの自治都市側と結託していて、
フェデリーコ2世 VS 教皇自治都市 という様相を呈しているが、








これはつまり、
北イタリアの商人の底力が、
時の権力者が無視できないほど強力だったということで、
戦争に負けたくらいで簡単に皇帝の支配に入るにはあまりにも経済力がありすぎ、

教皇庁にとっても、
ちょっと皇帝の力が強いからといって、
はいどうぞと簡単に手放すわけにはいかない、
いわば金庫のような存在だったからだと思われる。









フェデリーコ2世の天敵グレゴリウス9世は、
フェデリーコの息子ハインリヒを口説き落とし、味方につけることに成功したが、
それがもとで父フェデリーコの怒りを買い、
ハインリヒは自殺しており、
強すぎる父を持った息子の悲劇がここにも・・・








ハインリヒは最初の妻の子どもで、
フェデリーコは生涯4度結婚し、
愛人も多く、
子どもはたくさんいたようで、
古来、強い男というのは、
たくさん遺伝子を残すのだなあと納得・・・









アラビア語を駆使し、
第5回十字軍では敵の大将アル・カーミルとも親交を深めたフェデリーコ2世、
このあたりの経緯を見ていると、
ローマ教皇より、
イスラム教徒のアル・カーミルとのほうがずっとずっとお互いのことを理解し、
たぶん好きだったんだろうなと思われるんだけど、








そんな「イスラム教徒好き」のフェデリーコ2世のことを、
ローマ教皇は、









「アンチキリストで末法の世に生まれたサタンだ」










と糾弾、










キリスト教 VS イスラム教」という単純な図式はわかりやすく、
世の中に受け入れられやすいが、










世の中がうまくいかない時には、
国民は過激な発言を繰り返す人に帰依しやすく、
シンプルで過激であればあるほど浸透しやすいというのが世の常、
そこらへんの人間の弱みを巧みについたところに、
さすが、80歳をすぎて教皇になったグレゴリウス9世の、
人間としての凄みを感じるのだが、









強い皇帝と対等にやりあうには強い教皇が必要で、
歴史というのは、
こういうわかりやすい敵対関係があるほどおもしろいんだけれども、
フェデリーコ2世とグレゴリウス9世が同じ時代に生きたというのも、
決して偶然ではなく、
お互いがお互いを高める役割を果たし、
敵は敵なりに引きつけあうものがあったんだろう。









とにかく、
型破りな皇帝フェデリーコ2世に関しては、
おもしろいエピソードが尽きない。









ちなみに、
出口社長は、
もしも過去にさかのぼって生まれ変われるのなら、
13世紀に生まれ変わりたいそうで、
これだけいろいろなことが大きく変化した時代なら、
きっと楽しいだろうとおっしゃってましたが、
なるほどと納得。














なお、今回で出口社長作成のレジュメ3枚目が終了いたしました。
レジュメは全部で20枚あるのよ・・・
ということで、講義録のまとめはまだまだ続きます。
お楽しみに〜♪









Victoriaでした。
・・・


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






ライフネット生命保険
生命保険