ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (42) 対中国戦略にみる、クビライとモンケの皇帝としての器のちがい

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「対中国戦略にみる、クビライとモンケの皇帝としての器のちがい」








1260年は、
ユーラシアの歴史が大きく動いた年、









モンゴル帝国では、
クビライ・カンが第5代皇帝に即位、
空前絶後のグローバリゼーションが始まる。









第4代皇帝モンケが死んで、
次の皇帝の座を巡って、
クビライ VS アリク・ブケの帝位継承戦争がくりひろげられた時、
多くの有力者たちがクビライを支持したからこそ、
クビライは勝てたわけだけど、
決め手となったのは何か?








答 : お金。










クビライの方が圧倒的にお金持ち。









戦争ってのはお金がかかるのよ・・・










それで、
今回は、
クビライがどうやって、
巨万の富を手に入れたかという点をみていきたいと思います。











・・・


クビライが、
人類史上もっともお金持ちな王様になれたのは、
一言でいえば、
当時、
世界一豊かな国であった江南をそっくりまるごと手にいれたから。









モンゴル帝国は、
何度も大西征を行っているけど→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (35) フレグの大西征と暗殺教団 - Victoriaの日記
当時のヨーロッパが、
モンゴルにとって、
何がなんでも取りに行きたいほど魅力ある土地だったかといえば、
そんなことはなく、









ヨーロッパには牧草もないから、
お馬さんたちもハッピーじゃないしね・・・











対する南中国、
当時は南宋だったが、
正式な政府登録人口だけで、
2800万人だといわれ、










昔から中国は登録されない人口が多い国だから、
実際はもっといたらしい。










とにかく、
それだけの人口を養えるということは、
農業はじめ、
各種の産業も発達し、
海運もさかんで、
文化のレベルも高かったということだ。










クビライは、
兄モンケが皇帝に即位した直後の1251年から、
モンゴル東方の指揮をまかされ、
それにはもちろん、
南宋国の攻略も含まれていた。










しかし、
杭州無血開城し、
南宋がモンゴルに接収されたのは、
1276年、









クビライが狙いを定めてから、
実に25年、
モンゴル帝国が南征を始めてから、
40年かかっている。









クビライの対中国戦略は、
あきらかに長期戦で、











25年間、
ずーっと敵と対峙していたのかといえば、
全然そうではなく、










華北に本拠地をかまえ、
「チーム・クビライ」ともいうべき組織づくりなど、
足場をかためるのに、
相当の年月を費やしている。












ここが、
クビライとモンケの違いで、










華北にどっしりと根をおろし、
一向に南に攻めていかないクビライにしびれを切らしたモンケは、
1256年、
いったんクビライをクビにし、
オッチギン家(チンギス・カンの弟たちで構成された東方三王家のひとつ。人名など詳しくお知りになりたい方はこちらをどうぞ→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 モンゴル帝国の歴史を読み解くための用語集 - Victoriaの日記
のタガチャルを主将に任命、
みずから軍を率いて、
一気に攻め入ろうとした。









ところが、
四川に討ち入る手前で、
タガチャル軍はあっさり撤退してしまう。








慎重策をとったクビライが正しく、
江南は、
最強のモンゴル軍団をもってしても堕とせない難攻不落の土地であったのだ。










しかし、
ここで、
モンケは驚くべき戦略に出る。








あくまでも、
自らの手で江南をものにするのだとこだわり、
作戦計画を一新、
なんと、
皇帝モンケ自身が先頭をきって、
敵に対峙することにしたのである。










大将が先遣隊って、
いろいろと、
まずいよね・・・









大将に、
もしものことがあったら、
どうすんだ・・・???










実は、
モンケには、
欠点があって、










あまりにも有能すぎ、
独断でつっぱしってしまうクセあり。








側近やブレインたちと話し合って、
すべて協議で決め、
いったん部下にまかせると決めると、
まかせきったクビライとここが違うところで、
人間としての弱さがここぞと言うときに、
マイナスに出てしまって、










思うんだけど、
ピンチの時って、
リーダーの欠点が、
組織全体の運命を決めてしまうよね・・・










・・・ということで、本日の結論 :









リーダーの価値は、
ピンチで決まる。










・・・




モンケの新しい作戦で、
先遣隊をつとめるモンケだけでなく、
モンゴル軍全体が危ない橋を渡らざるを得なくなったわけだけど、









つまり、
負け戦だってわかってて、
つっこむという意味で、












強気なモンケさま、
まったく後に引く気なし。











結果として、
敵に対峙する手前で、
モンケ自身が疫病にかかり死んでしまう。











疫病にかかったのは、
モンケだけでなく、
モンケ直属部隊のかなりの人数が、
同じ疫病で死んでいて、












四川は湿気がひどく、
乾燥したステップの気候になれたモンゴル軍が、
バタバタと倒れていくのは、
地獄絵のような壮絶な光景だったにちがいない。










・・・ということで、本日の結論 :








大将は戦の途上で自分が死んでもいけないし、
ムダに部下を死なせてもいけない。









今回の内容は、
出口社長の講義では、
おそらく時間の関係で、
さら〜っと触れられたところもありましたので、
細かい点は、
杉山正明「クビライの挑戦」を参照しました。

ちなみに、
この2日間、
本書を読み込みすぎて、
さきほどページがバラバラになるハプニングがありました。








すっかり、
モンゴルにはまっております・・・














モンケ南征の経路は、
こちらを参照ください。

杉山正明「クビライの挑戦」p93より拝借しております。






白い矢印が、
南征の経路です。








ピンクのところが南宋国。









地図の上のほうの赤丸が「開平」、
クビライが本拠地を定めたところ、












下の方の赤丸が「鄂州」。











ここは、
クビライが南宋国を堕とすきっかけをつかんだ、
重要なポイントで、
すっげー、ワクワクする話があるんですが、
長くなるので、
次回にします。









お楽しみに〜♪










Victoriaでした。



・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






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