ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (59) 襄樊(じょうはん)包囲作戦

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、「襄樊(じょうはん)包囲作戦」







まず、
最初に業務連絡から。








ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5に参加して、
出口社長のレジュメをお持ちの方、
今、どこらへんにいるかというと、








3 クビライによるグローバリゼーション その3の最後の項目「文永の役」〜その4の最初の項目「ダヤン 南宋を接収」








のところですので、
よろしくお願い申し上げます。








・・・

さて、
クビライ政権が、
南宋作戦の第一の攻撃目標に定めたのは、
「襄陽(じょうよう)」と「樊城(はんじょう)」という川の対岸に位置する双子都市。










場所は、
ここです。

杉山正明モンゴル帝国の興亡 下」p99より。

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)











ここを選んだのは、
南宋からクビライ側へ寝返った劉整(りゅうせい)。










劉整は、
南宋作戦に関して、
南宋側の人間にしか知り得ない情報をもとにクビライに進言、
クビライは喜んで劉整に指揮を執らせている。











1268年、
10万の部隊を従えて襄陽・樊城を包囲したモンゴル軍は、
一切攻撃を加えず、
いきなり土木工事を始めた。











えんえん、
土を掘り返し、
土塁と堀をきずいていき、











なんと、
城外にキャンプを張って、
生活を始めた。









そうこうするうち、
駐留するモンゴル軍を目当てに、
商人や旅芸人がやってきて、
街はにわかに戦時景気でにぎわい始め、











一方、
とりかこまれた城の中にいる南宋側はどうしていたかといえば、









もともと長期戦を覚悟していたので、
食糧はたっぷりある。











ということで、

壁のむこうとこちらで、
それぞれが生活しているだけという、
一見戦争とは思えない耐久戦が始まった。










この時期、
モンゴル軍は10万とはいうものの、
ほとんどが、










土木作業員











で、
このあたりの戦い方は、
一夜にして城を築き、
敵城をじわじわと攻めて行った秀吉の戦い方をほうふつとさせます。








・・・


モンゴル軍は、
結局、
ここに3年間住み続け、
その間、
戦争には一切の進展がなかった、








が、しかし、










クビライが、
万全の補給網を完備して、
物資も人員も惜しげもなく投入しながら、
ただ時間をむだにすごすわけがなく、












この3年間、
モンゴル軍は、
ものすごい勢いで、











水軍の建設











にとりかかっていた。










これももちろん、
劉整の進言で、











南宋を制するには、
南宋水軍をやっつけなければ!!!













5000艘、7万の兵がにわかに集められ、
主要艦艇は新しく建設、










それらの船を集め、
陸軍と連動しつつ、
合同の軍事演習を、
来る日も来る日も繰り返した。









この時、
大都建設の突貫工事が行われていたし、










中央アジアでは、
いまだにいろんなこぜりあいがあって、
モンゴル騎兵を投入していたことを考えると、










一体、
モンゴル帝国=元の国家予算はどれくらいの規模だったのか、









誰か現在の通貨で計算してください!









って感じ・・・


・・・


結局、
3年間の準備期間を経て、
南宋水軍と対峙した1271年、











モンゴル軍にとっては、
待ちに待った日、











この日のために、
戦略を練り、
陣地をつくりあげ、
陸・海連合の訓練を繰り返してきたわけだから、
負けるわけがない。











この戦争で、
クビライが買った理由を、
杉山正明氏が実に明快に解説してくださっているので、
以下にまとめると、








<クビライが南宋に勝った理由>










戦争のシステム化。











戦争の大半を土木工事に費やして、
クビライがやったことは、










戦争から、個の力や、偶然の要素を排除。








単に戦闘だけでなく、
作戦立案から編成・補給のすべてを管理し、
ひとつの事業として行ってしまうということで、










戦争を総合事業化。










戦闘に勝っても、
相手をこてんぱんにたたきのめして焼け野原にしてしまっては意味がないから、
ほとんど人は殺さないし、殺されない。











むしろ、
戦争のために投入された資金や物資が、
経済活動の活性化をよび、









戦地に、
雇用とインフラの充実をもたらす。










クビライは、
戦争を公共事業としてやりきってしまったといえるわけで、









何か、
とてつもなくデカいものを手にいれたければ、
ここまでやれということなんですね・・・










Victoriaでした。



・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記








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