ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (50) 大明暗黒政権 1384年 雲南をモンゴルから取り戻す

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1384年 雲南をモンゴルから取り戻す」。

紅巾の乱で勝利をおさめた朱元璋が、
明を建国したのは1368年。





しかし、
この時点で、
中国を統一していたわけではなかった。





雲南からモンゴルを追い出したのが、
1384年、
晴れて中国統一を完成したことになる。





現在の雲南省都昆明
女子マラソン選手が合宿したりなんかしてますね・・・






中国人の知り合いに、
一年中すごしやすい気候はどこかと聞いたところ、
昆明だと言ってましたので、
いいところなんだと思います(まだ行ったことない・・・)





それで、
雲南は、
実は、
なかなかしぶといお土地柄でありまして、






唐の時代から、
統一王国を形成していて、
漢民族に平定されたのは、
明の時代になってから。






ということで、
雲南の歴史を地図でまとめてみました。
山川出版社世界史総合図録から写真借用しております。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録

まずは、
7世紀、
唐の時代に、
南詔」という統一王国が出現。

次に、
12世紀、
宋の時代に、
大理国」出現、

しかし、
1254年、
モンゴル帝国のクビライに滅ぼされ、

雲南を攻めてる途中で、
クビライの前の皇帝モンケが病死するというハプニングがあったことは、
前回たっぷり見たとおり→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (42) 対中国戦略にみる、クビライとモンケの皇帝としての器のちがい - Victoriaの日記






そして、
勢いのなくなったモンゴルを、
晴れて、
朱元璋がおっぱらったと、
こういうわけです。

朱元璋は、
この地にある銀山に目をつけ、
何が何でも取りに行くつもりだったそうで・・・





もちろん、
今でも、
鉱物資源埋蔵量は、
ハンパないらしい・・・






Victoriaでした。



ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (49) 大明暗黒政権 1383年 勘合制

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1383年 勘合制」。

さて、
朱元璋(=洪武帝)が、
唐の時代からあった税関(=市舶司)をつぶし、
貿易は勘合貿易のみに制限したことは、
すでに見た通り→
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (45) 大明暗黒政権 1371年 海禁令 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (46)大明暗黒政権 1374年 市舶司の廃止 - Victoriaの日記




今回は、
勘合制について、
詳しくみていきます。




・・・

山川出版社世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

勘合貿易 : 明が正規の貿易船であることを証明するために、交易諸国に与えた割り符によって行った貿易。明初の洪武帝時代に始まるが、日本に対しては永楽帝時代の1404年に、明の使者が室町幕府に割り符を与えたのが始めである。






国家貿易というと、
聞こえはいいけれども(よくないか?)、
結局、
国の独占貿易だから、






足利義満は、
これで、
えらいこともうけたらしい・・・





ほかに、
勘合貿易を仕切った者として、
山口の大内家がある。






大内家は、
勘合貿易の利権争い(?)で、
寧波(にんぽー)の乱というのを、
中国で起こしていて(1523年)、
豊かな山口文化(=大内文化)の原動力となった方たちです。






それで、
勘合なんですが、






二枚が合わさってひとつになる割り符のことで、






実物ないかと思って探したんだけど、
みつからず、





どうやら、
中国で皇帝の代替わりごとに新しい勘合が発給されるのがならわしで、
そのたびに、
古い勘合を回収していたらしく、
実物は残されていないらしい。





調べてみると、
これは、
かなり、
中国の貿易相手国側にとって有利な貿易形態で、






例えば、
明で購入した糸500文が、
日本では5000文で売れたとか(10倍じゃないか!)、





中抜きしたのは誰だ?????





中国は、
周辺国を冊封朝貢させるのが目的だったので、
日本も、
室町幕府が「日本国王」として明の皇帝から冊封をうけ、
朝貢する形をとっていたので、






日本国内では、
いろいろと異論も出たようである。






しかし、
実利主義者の足利義満は、
名分を捨て実利をとって、






巨万の富をここに↓







だけど、
日本だけじゃなく、
周辺諸国を軒並み冊封させ、
朝貢してきた品物の何倍もの価値のある品々を取らせていたなんて、






中華思想というのは、
高くついたんだな、と・・・








Victoriaでした。



ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (48) 大明暗黒政権 1384年 科挙復活

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1384年 科挙復活」。

元の時代には、
モンゴル人第一主義にのっとって、
ほぼ100年間にわたり科挙は中止、




モンゴル人・色目人中央アジア西アジア出身)・漢人・南人(江南出身)の身分秩序で、
官僚の登用がなされていたが、




1313年、
4代仁宗の時に、
科挙復活、





ただ、
相変わらず、
モンゴル人・色目人に有利であったので、





1382年、
朱元璋(=洪武帝)は、
劉基とともに、
科挙改革に乗り出した→劉基はこの方ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記





朱元璋および劉基は、
朱子学の信奉者であったので、
五経より四書重視の方針を打ち出した。





ちなみに、
五経のほうがずっと難しいらしい。





また、
八股文(はっこぶん)と言われる対句を使った回答形式が指定された。




要約すると、
科挙は易しくなり、
貧困層の出身でも、
合格が夢ではなくなったということで、





それは、
悪いことではないと思うんだけど、
内容が平準化し、
形式主義に陥ったことで、
優秀な人材を登用しにくくなったとされる。





また、
明代から、
科挙の受験資格を、
国立学校の学生に限ったため、
科挙を受けるためには、
まず、
しかるべき学校の入試に合格しなければならない。





ということで、
科挙の試験が複雑化した。





どれくらい複雑かというと、
これです。

ウィキペディア・コモンズで、公開されていたので、
とってきた。




これは、
カンニングをしたり、
替え玉受験をしたりという不正が後を絶たず、
いわば、
受験生と試験実施者との間のイタチごっこの産物で、





一枚のペーパーテストで、
人間の何がわかるんだって話だから、
いろんな角度から試験するってのも、
ひとつの手かと思うけど、





これだけ複雑になったら、
それだけ不正のチャンスも増えるわけで、
賄賂とかね・・・あるよね・・・ゼッタイ・・・




そういえば、
日本でも、
センター試験の見直しがされていて、




なんでも、
一発勝負がいけないんだとかで、




高校生に、
何度かチャンスをあげよう!的な、
口当たりのいいキャッチフレーズが叫ばれているけれども、




センター試験のチャンスが一回しかないのが問題なのではなく、
受験生の能力をちゃんと測ろうとせず、
アウトソーシングでチャチャッと学生確保しようという、
大学の手抜きが問題だと思います・・・





試験改革が難しいのは、
いずこも同じ、





特に、
試験に通るか通らないかが、
一生を左右するとなれば、
莫大な利権も発生するし、




だいたい、
制度設計する人間は、
全員、試験勝者、
試験大好き!な人の集まりなんだから、
どんどん難しくしちゃうよね・・・





でも、
短い青春を、
試験に捧げてしまって、
合格すればいいけど、
不合格になった場合の、
負のエネルギーをどこに発散するかっていう、
でかい問題が置き去りにされてて、







官僚の登用を一発勝負にするからいけないのよ・・・
中途採用のみにすれば、
問題なくなるのでは・・・???






Victoriaでした。


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (47) 大明暗黒政権 里甲制と衛所制

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 里甲制と衛所制」。

さて、
海禁令、市舶司の禁止などの政策を次々に打ち出し、
倭寇の取り締まりに成功した朱元璋




次に、
農村統治のために、
里甲制を導入、
合わせて、
衛所制という兵制も整備し、
皇帝独裁政治が確立。





それぞれ、
難しい名前なので、
山川出版社世界史用語集をみてみると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

里甲制 : 洪武帝が制定した、農村統治のための連帯責任制度。民戸110戸を1里とし、そのうち富裕な富戸10戸を里長戸、残りの100戸を10戸ずつ10甲に分け、各甲に甲首戸をおいた。そのうち、1年交代で選ばれた1里長と10甲首が賦役黄冊の作成、租税の徴収、中央への献上品の調達、さらには村の治安維持などの責任を負わされた。




賦役黄冊 : 民戸を対象につくられた戸籍簿・租税台帳。各戸の家族構成・財産状況などが記載され、10年ごとに改定された。表紙に黄色紙が用いられたため、黄冊の名がつけられた。



魚鱗図冊 : 明代に整備された土地台帳。土地の番号・位置・境界・種類・所有者の税額などが記された。土地の区画が魚の鱗に似た形で記載されたため、この名がつけられた。




衛所制 : 洪武帝が唐の府兵制を範として設立した兵農一致の兵制。軍戸の112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所5600人を1衛とし、衛の上には都指揮使をおき、各省が管轄した。






「魚の鱗に似た形で記載された」というのが、
気になったので、
探してきました。



右側が、
「魚鱗図冊」。




たしかに、
魚の鱗みたいになってます。





左側が、
明代の政治組織で、
里甲制の文字が見えます。






以上、
山川出版社世界史総合図録より拝借しております。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録






この、
里甲制と衛所制で、
朱元璋が何をやりたかったかというと、






農民を土地にしばりつける。







徳川政権がやろうとしたことと、
似てますね・・・




朱元璋は、





重農主義=富の唯一の源泉は農業である





を理想としていたので、
これは、
ぜひともやらねばならない政策だったのだけど、




明中期以降は、
経済が発達し、
都市への移住が進んだために、
里甲制はたちゆかなくなり、






衛所制も、
軍戸は、
従軍と労役、物資の提供の三役をこなさなければならず、
それを嫌って、
一家をあげて土地を離れるものが続出、
明後期には、
衰退、






やっぱり、
ここまで厳しく管理するっていうのは、
最初はいいだろうけど、
長く続かないです、





人間には、
足がついてるから、
逃げていったら終わりだし・・・






Victoriaでした。




ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (46)大明暗黒政権 1374年 市舶司の廃止

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1374年 市舶司の廃止」。

さて、
倭寇取り締まり対策の一環として、
1371年に海禁令を発令した明政権は、
1374年、
市舶司の廃止を決めたため、
モンゴル政権のグローバリゼーションの波に乗って、
海でブイブイいわしていた貿易商人は、
廃業か倭寇になることを迫られるんだけど、






市舶司は、
唐の時代、
714年に玄宗が広州に設置したのが始まりで、
966年、
北宋建国後、
整備された、
それはそれは長〜い歴史のある官庁で、





それを、
あっさり!
廃止してしまうあたり、
朱元璋も、
なかなか思い切りのいい方で・・・







海禁+市舶司廃止で、
中国の貿易はどうなってしまったのか?








答 : 朝貢貿易+密貿易。







密貿易は、
読んで字の如くなのでおいといて、






朝貢貿易なんだけど、






山川出版社世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

朝貢貿易 : 中国が朝貢国と行う恩恵的な貿易形態。中国は朝貢(皇帝の徳に敬意を表して貢ぎ物をすること)をしてきた国に対し、恩恵として返礼品を与えたので、これは一種の貿易であった。朝貢国にとり、この返礼品は大きな利益となったので、朝貢回数を増やすことを望んだが、中国は、年度、数量、人数、経路と出入港、取引商人、貿易品目、滞在日数などの制限付きで許可を与えた。このような貿易形態は、16世紀に渡来したヨーロッパ人にも適用された。







朝貢貿易は、





中国が周辺諸国と形式上の君臣関係を結ぶことで形成された国際秩序=冊封体制





があったからこそ、
成り立つ貿易形態なんだけれども、





実は、
倭寇に手を焼いた朱元璋(=洪武帝)は、
日本へ鎮圧を要請しており、






その見返りとして、






日本に有利な条件で、
勘合貿易を行うことを約束、






おかげで、
足利義満は莫大な利益をあげ、
ホックホックだったらしい・・・






なるほどね・・・
そのゼニを使って、
こんなこととか、
あんなこととか・・・

ウィキペディア・コモンズから拝借)







Victoriaでした。



・・・


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (45) 大明暗黒政権 1371年 海禁令

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 1371年 海禁令」。

さて、
元末期に中国で起こった紅巾の乱では→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記
国中が疲弊してしまって、





江南地帯は、
農業も盛んで、
さほど影響は受けていなかったが、




華北は一面荒野が広がり、





また、
元の時代には、
紙幣が発行されていたんだけれども、
明政権に、
紙幣を循環させて経済を活性化させることの意味がわかる者がいなかったらしく、
かといって、
銅銭を発行する力もなくなって、
一時的に、
実物経済に依存せざるを得なくなり、







要するに、
農業を主な産業として、
商業には頼らないという、







農本抑商と自給自足







が国の政策となった。







もちろん、
建国者である朱元璋が、
貧農出身で、
農業資源をすごく重視したということが、
そのベースにはあるんだけれども、






朱元璋の個人的な資質(農業大好き商売キライ)と、
国の状態(戦争で疲弊・混乱していた)が合体して、
さまざまな政策が打ち出されていったようです。







そのひとつが、







海禁令。







海禁令により、
私貿易が制限され、
貿易は、
政府の管理下におかれたわけだけど、






当初の目的は、






倭寇対策。







この時代は、
倭寇全盛期で、





1368年から1374年6年間で、
倭寇の襲撃は23回!






朱元璋と戦って破れた張士誠の残党も、
倭寇に混ざっていっしょになって襲って来たため、
倭寇はますますパワーアップ、






困った政府が、
何はともあれ倭寇(=日本人)と残党(=中国人)の分断をはかるため、
導入したのが海禁令で、







以上の経緯をまとめると、
海禁令を導入した当初は、
密貿易の取り締まりは目的ではなく、
純粋に、






倭寇コワイ〜〜〜








だった模様・・・







・・・ということで、本日の結論 :






海の男は強し!







Victoriaでした。




バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (44) 大明暗黒政権 文化の抑圧と技術の低下はなぜ起きた?

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「大明暗黒政権 文化の抑圧と技術の低下はなぜ起きた?」。

さて、
一般的に、
幼少期の体験が、
アイデンティティに多大な影響を及ぼすと信じられているため、
親は、
一生懸命に、
子どもにとってできうる限りベストな環境を準備してやろうと、
あれこれ苦労するわけで、






あまりにも、
大事大事に育てられ、
何の苦労もなくすくすく育ってしまうと、






世間知らず






のボンボン誕生、
あっという間に身代つぶしたりなんかして、
親心が裏目に出てしまうし、







だからといって、
子どもには、
思いっきり苦労させるがいいと、
世間の荒波に放り込んで、
揉まれまくってしまうと、
心に傷を負ってしまい、
一生、
トラウマに苦しむ例も多く、







結局、
子どもがまっすぐ育つも、
ひねくれて育つも、
神のみぞ知る・・・






あとは野となれ山となれ・・・







明建国者の朱元璋は、
まさに、
幼少期の極貧生活のトラウマが、
一生を決めてしまった典型で、







彼ひとりの人生ならば、
ドンマイなんだけど、
明という一国の命運がかかっていたので、






なんていうか、
歴史上の人物としてお目にかかる分にはいいんだけど、
同時代に生きていたくないタイプ、







てゆーか、
なんで、
たった一人の人間が、
こんなにたくさんの人間を、
自分が気に入らないからというだけの理由で、
ガンガン殺すことができたのか、








それは、
気持ちとして、







アイツ、殺してやる〜〜〜!!!






っていうのはあるとは思うんですけど、
実際それを実行するとなれば、







いくら彼が皇帝だったとはいえ、
どっかで、
抑止力ってものが、
働くと思うんですね、普通・・・







なぜ、
ここまで残酷なことができた人間が、
あの時代に生きてて、
暗殺もされず、
自然死できたのか、
大いに疑問です。







・・・

さて、
紅巾の乱で→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (18) 1351年 紅巾の乱 - Victoriaの日記
朱元璋は、
海運王、張子誠と戦ったので、
この戦いは、
いわば、







陸軍 VS 海軍。







見事、
陸軍が勝って、
朱元璋が天下をとると、
とたんに、
海軍に対して厳しくなり、
海禁令を発令、







モンゴル時代に、
世界中を海の道でつないで実現したグローバリゼーションは、
一気にしぼんでしまって、







自由貿易ができなくなった中国は、
あっという間に貧しい国に転落、







モンゴル時代の中国は、
盛んに貿易を行い、
ペルシアに陶磁器や絹を売り、
銀を循環させていたわけだけど、







それを、
朱元璋は、








中国人が、
一生懸命作った商品が、
外国へ流れて行って、
商売人だけがおいしい思いをするなんて、
けしからん!!!







という考えの持ち主で、







ただ、
農民に対しては、
ものすごく理解があって、
治水工事を行うなど、
常に心をくだいていたらしいけど、







とにかく、
インテリけしからん!
商人けしからん!
お金もうけするヤツけしからん!
の一点張りで、








なんと、
唐の時代からあった税関をつぶしてしまう。








で、
貿易はどうなったか?








答 : 勘合貿易のみ(=国家貿易です、これ)







勘合貿易というのは、
国が勘合を発行して、
この船は政府の認可を得た正式なヤツらだから、
安心して取引していいですよ、
という、
お墨付きを与えるわけだから、







宋の時代から貿易やっていた人たちや、
漁民らが、
一気に失業、







しょうがないので、
廃業するか、
海賊になるしかない、








ということで、
たくましき海の男たちは、
み〜んな、
海賊になる道を選び、









海上にオレたちの国をつくろうぜ!
ということで、
海上帝国ができあがっていくんだけど、









そういう非公式な裏取引を別にすると、
海上を行き来するのが、
み〜んな役人ばかりになってしまって、







市場経済のメカニズムから最も遠いと思われる人ばかりが貿易を仕切るようになって、
な〜んもいいこと、ないわな〜〜〜








モンゴル帝国が築き上げた、
鉄のグローバリゼーションはどこへやら、
中国には、
先祖返り的な、
自給自足の社会システムが現れ、
それがしばらく続く。








モンゴルの時代だって、

いい面、悪い面、
両方あったと思うし、
みんながみんな、
恩恵を受けたわけではないと思うけど、







全体的に、
カラっとしてて、
明るい感じがしたのに、







明になるやいなや、
こんなに何もかも、
暗くてどよ〜んとした感じになるって、
ホント、
すごい・・・







・・・ということで、本日の結論 :







明の時代、
文化の抑圧と技術の低下はなぜ起きたか?







答 : 貿易をぶっつぶしてデキる男をみんな殺してみんなで原始的な社会に帰ろう政策をとったものだから国が貧しくなり文化や技術の発達に使うお金がなかったから。








誰よりも、
貧乏のつらさを知ってたはずの朱元璋が、
貧乏の呪縛から逃れられなかったという、
哀しい結末なんだけれども、






朱元璋の政策そのものというより、
長年の戦乱で貨幣体系が疲弊していたため、
一時的に国力が低下していたのだという解釈もあるようで、






歴史って、
奥が深い・・・







Victoriaでした。



ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6」バックナンバーはこちらです。
5000年史 Part 6 まとめ - Victoriaの日記