大学は、生徒の資質を大学独自のやり方で見極めて合格させるという努力が必要

高3生の中には、センター試験を受けない生徒もいます。推薦入試で合格を早々と決めた生徒たちです。

推薦入試は、指定校推薦、自己推薦、AO入試、いろいろありますけど、一般入試に比べれば、志望理由書を書いたり、面接を受けたり、学科試験が免除されている分いろいろ手間暇がかかります。

内申書のほかに、先生の推薦書が必要な大学も多い。

それだけ、生徒の人間性をみようということですが、推薦も数が多くなってきたので、結構システム化されてきました。

推薦書は担任の先生がひとりひとりのために自筆で書くわけですが、結構ボリュームもあり、大変なんですよね。何を書いてほしいかをあらかじめ生徒に聞いてから書いている先生も多いようです。実際、「推薦書に書いてほしい言葉はどれですか」というアンケートのような紙を配り、「責任感、リーダーシップ、明朗、まじめ・・・」などあらかじめ印刷された言葉に○をして先生に提出、なんていう裏技を使っている学校もあるようです。

逆に、すべての生徒に全く同じ推薦文を書く先生もいるようで、そんなんだったら、意味ないんじゃないか、という感じもしなくもない。

結局、大学は高校にいろんな書類を揃えさせてそれに頼ってばっかりいると、しっぺ返しを食らうんじゃないか。こんな生徒に来てほしい、というポリシーをある程度持って、独自に生徒の資質を見極めて合格させるっていう努力が必要なんじゃないかと思います。

大学入試は、ほかの資格試験とはちょっと違うと思うんです。

例えば、司法試験とか、あるいは税理士試験とかだったら、その職業に必要な資質を見るっていう明らかな目的がありますから、試験をどんどん難しくして、優秀な人を合格させたらいいと思うんですね。

でも、大学入試は、受験する生徒が今まさに人間として発展途上にあるという意味で、試験の過程そのものが生徒を成長させる部分がすごく大きい。

例えば、オープンキャンパスや、あるいは入試当日の会場で出会った先生とか、ほかの受験生に刺激を受けて、試験を受けているというその最中に、現在進行形で目に見えて変わっていくことがあります。

あんまり乗り気じゃない大学の入試会場で、普通じゃない雰囲気に刺激を受けて「この大学に来たい」と心から思い、推薦には落ちたけど、それから死ぬほど勉強して一般では受かった、とか、面接でいろいろ聞かれたことで初めて自分の将来について真剣に考えて、進路を考えなおした、とか、「一夜にして大化けした受験生」の話はいくらでもあります。

予備校が社運をかけて行う大学の合否判定ですが、結構、当たらないことが多いのは、「大化けするかもしれない可能性」がコンピュータには読めないからです。

大学は、手間暇かけて受験しにきた生徒ひとりひとりにアピールしていけば、それまでは「別にこんな大学来たくはないんだけど」と冷めていた生徒の中に、可能性をみつけることができるかもしれない。特に、センター試験で平均点レベルのあまり期待されていない生徒の中に、生徒本人も気づいていない可能性を秘めた子が多いように思います。

センター試験がその最たるものですが、大学入試をシステム化しすぎて、大学側の事務仕事はめちゃめちゃ増えただろうけど、かえって、生徒ひとりひとりと向き合って、いい生徒に来てほしいって直接アピールする努力はどんどんしなくなっていると思う。

キミにぜひ来てほしいよ、って言われれば、たぶん全部の受験生に言ってるだろうなあ、と思っても生徒はうれしいし、そういう大学ならちょっと行っただけで、やっぱり合わないからってやめちゃったりしないと思う。

だって、私大のセンター利用なんてひどいんですよ。
一度もその大学のキャンパスに行くこともなく、点数を送るだけで合格通知が来るんだから。
それじゃあ、自分と合うかどうかなんてわからないよね。

学生の質が落ちただの、学力低下だのって生徒のせいにばっかりしてないで、大学ももうちょっと生徒のことを知る努力してよ。高校生はみんなそう思ってますよ。

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