夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 (2) 筆下ろし・水揚げ

こんにちは。Victoriaです。

さて、ひきつづきこの本を読んでおります。

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

本書の解説は上野千鶴子先生。
赤松先生と共著を出しておられる縁で、
解説をお書きになった模様。
猥談―近代日本の下半身

猥談―近代日本の下半身

上野先生、かなり気合いを入れて解説をお書きになっていて、
ぶっちゃけ、赤松先生の文章は、あまりにも実体験が豊富すぎ、
一般論にいくのかな〜と思いきや、次々と繰り出される逸話に翻弄され、
「だから、結局、なんなんだ?」
って場面もなきにしもあらず。

しかし、上野先生はそんな迷える読者のために、
むちゃくちゃコンパクトに「近代日本の下半身」のまとめをなさっております。

上野千鶴子先生によれば、
日本では夜這い慣行は、高度成長期直前まで各地に残っていた。
なかでも農村より漁村に最後まで残ったといわれる。
共同労働が多く、集団の結束が固い漁村では、共同体慣行がおそくまで続く傾向があったためである。

明治政府が夜這いを「風紀紊乱(びんらん)」の名のもと統制しようとしていたことは知られている。
しかし、各地で夜這いは長期にわたっておこなわれた。

近年、しだいに明らかになってきた夜這い慣行の実相は、
共同体の若者による娘のセクシュアリティ管理のルールであることがわかってきた。

初潮のおとずれとともに娘組にはいり、村の若者の夜這いを受ける娘にとっては、
処女性のねうちなどないし、童貞・処女間の結婚など考えられない。

結婚の相手を見つけるときは、恋愛関係のもとでの当事者同士の合意がなければ成り立たない。

親の意向のもとで見たこともない相手に嫁ぐという仲人婚は、
村の夜這い仲間では考えられない。

夜這いには、若者にとっても娘にとっても、統制的な面と開放的な面の両面がある。

実際、明治政府が夜這いを取り締まろうとしたとき、村の若者たちは、
「夜這いがなくなるとどうやって結婚相手を見つけたらよいか、わからない」
と言って反対したという。


・・・
なるほど・・・
おそらく、夜這いを取り締まろうとした明治政府のお偉方たちは、
夜這いなんてしたことない男どもだったにちがいない・・・

80代だった赤松先生に上野先生がお会いになって、
「女のほうから男を評定する基準はなんですか」
と尋ねた時のエピソードが載っている。

赤松先生、間髪を入れず、
「なんというても、もちもンですわな」
といって、張り方や大きさ、堅さについて、とくとくと語り始めたという。

そこで、上野先生、
「赤松さんもペニス神話の持ち主なのか・・・おっさんやなあ」
と思ってげんなりしてしまったらしい。

いや〜上野先生、赤松先生のおっしゃることにも一理ありますやろ・・・

・・・
さて、赤松先生の実体験に基づく詳細なる夜這いの実態がつづられた本書、
どこを開いても目がランランとしてしまう最上の教科書なんだけれども、
「筆下ろし」について書かれた章が圧巻なので、
ちょっとここでご紹介。

村によって違うが、男は13歳、あるいは15歳になると若衆入りする。
若衆入りすると、一人前の村人として認められ、
土木工事や農作業などに出ても一人前の賃金が払われる。
また、女との交際、女遊び、夜這いも公認された。
もちろん結婚もできる。

昔は、ほとんどの村で、若衆に初入りの日に、性交の技能を教えた。
最も典型的なのは、後家による雑魚寝の形式。
早い話が、集団教育である。

村にはたいてい神社・寺院があるので、若衆入りした若者を6時頃から仏堂に集める。
村では人数だけの後家を集めるが、足りないと40歳くらいの女がクジとか、持ち回りで出る。

人数が揃うと堂を閉め、真っ暗な堂内で、本尊の前の大ろうそくだけが輝く。

いよいよここでくじ引きである。
つまり、相手を決めるわけだ。

狭い村だと、母親や後家とその子が当たったりすることもあったらしいが、
仏さんの前で決まったことなので、絶対に変更できない。

組み合わせが決まるとならんで般若心経を唱える。
御詠歌がすむと、「お前らは外で小便してこい」と若衆たちを追い出し、
女たちはフトンを敷く。

狭いお堂なので、5組くらいで満員である。

いざ、若衆を呼び入れると、組になって閨に入る。
入ると女が男を抱き寄せてやる。

女は帯を解いて裸になるが、男はなかなか手を出さないそうだ。

そこで男の手をひっぱってお乳をにぎらせたり、さすらせたり、吸わせたり、
女は教育に忙しい。

初めての男だといろいろ手間がかかって大変である。
隣は激しくピストンなのに一向に立たんのもあって、こんなのに当たると一苦労だそうだ。
お隣の状況に気をとられるのもあり、「アホ、横見てんと、気入れんか」と叱らなければならない。

第一工程が終わると一休みしてお茶になる。
それから第二工程に入り、いろいろと高級技能の伝授になる。
最も困るのはインポで、その場で習得できなかった、いわば「補習組」として、
後日自宅へ通わせてアフターケアをするそうだ。

集団授業で落ちこぼれたら個人教授、
いずこも教育の奥義は同じなのだなあ・・・


・・・
というのが、男が若衆入りする時の儀式。

一方女の場合はどうなっていたかというと、

初潮があってしばらくすると母が娘を連れて水揚げの依頼に行く。

ただ単に性的技巧が上手だからというだけで相手を選別せず、
人間的にも信頼できる人物のところへ連れていった。
末永く相談相手になれるような人を見込んでお願いするわけである。

娘はその朝、母親といっしょに風呂に入り、よく洗ってもらい、
だいたいの様子を教えられる。

訪問先では、相手と母親と娘の三人でしばらく談話。
水揚げは納戸を使うことが多い。
納戸というのは入り口が一カ所で、三方が壁になっていて、
中で男女がどんなに騒いでも外へは漏れない。

初めての水揚げは、30分か1時間くらいで終わる。
いろいろとテクニックはあるらしいが、若衆みたいに飛びかかってくることもなく、
やはり上手にしてもらったという。


男女とも、このようにして、経験豊かな先輩方から手ほどきを受け、
晴れて夜這いのメンバーに入るわけである。

夜這いというのは二人一組だが、複数の男女が遊ぶ「夜遊び」というのもあった。

男女がいっしょになって共同で農作業を行った後は、合宿雑魚寝になる。
あるいは、盆や秋祭りの念仏講なども、仏堂で雑魚寝。
おそらく村の男女で性交可能なひとたちがみんな集合していたとみられ、
盛大な性の解放が行われた。

おそらく、相当わいせつな現場だったのではなかろうか。

若衆入りする前の子どもの性のしつけもかなりあけっぴろげであったようである。

田舎では風呂を持ち回りすることが多く、
風呂の順番は、まずおやじが入り、次に男の子、それから女と決まっていた。
男の子たちがあがると、女たちはもう裸になって順番を待っていた。

「お前、ずいぶん大きなったやないか、ちょっと見せてみい」
「いややあ!!!」
と逃げても後ろから抱きかかえ、マエをつかんでしごく。
「痛いわあ!!!」
と泣いても、
「あんじょしとかなヨメはんもらわれへんぜえ」
とまたしごく。
「おぼえとれ、オバハンのオメコしごいたるぞ」
などと言おうものなら、
「さあ、しごいてみんか」
と裸体をつきつけ・・・




ほんまかいな・・・




以上、生々しい夜這いの現実をご紹介しましたが、
Victoriaの創作ではありません。
信じられない方は、ぜひ本書をご覧遊ばせ。

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

Victoriaでした。