セックスと結婚の不都合な真実

こんにちは。Victoriaです。

5歳のころ、住んでいた団地には、よく、魚屋さんがトラックで魚を売りに来た。

軽トラの荷台に氷のいっぱい入った大きな白い発泡スチロールの箱を乗せてやってきた魚やさんが、
団地の入り口のところに車を止めるとたちまち奥様方が群がった。

まだ5歳の私には、
魚やさんのおじさんの手にかかると、
どんな大きな魚もあっというまにさばかれて、
お刺身になったり、
切り身になったりするのが驚きで、
まな板の上からバケツの中につぎつぎ落とされる、
真っ赤な内蔵のグロテスクな映像と、
磯と血の混じった強烈な臭いは、
本当なら弱虫の私を遠ざけるのに十分な理由になるはずだったのに、
魚やさんの車が来ると、必ずいそいそとやじうましに行ったものだった。

理由は簡単。
魚やさんの話がおもしろく、
群がった奥様方が、「母」であることを忘れ、「女」になって笑い転げていて、
いつも大騒ぎになっていたからである。



ある日、魚やさんはうなぎを売ろうとしていた。

うなぎはまだ生きていて、
ピンピンと動いていたのだけど、
それを奥様方に見せながら、



魚や「ワシのも、こいつに負けへんで〜」
奥様方「いや〜ん!!!いやらしいわあ」
魚や「何言うてんねん。ワシなんか、指一本で一発やで。
ちょろちょろ〜ってくすぐったったら、いや〜ん言うて穴開きよるねん」
奥様方「キャハハハハ!!!」




立派な大人の猥談なのだが、
なぜだか、5歳の私は、聞いた瞬間、
魚やさんと奥様方の間に流れる、
きわめて卑猥な空気を理解した。

こんな魚やさんであったので、
商売繁盛、用はなくても近所中の奥様方が群がるわけである。




同じ頃、生まれて初めて大人のセックスを目撃した。

団地の昼下がり、たぶん、お友達の家に遊びに行こうとした私は、
夏だったので、開け放されたドアから中をのぞきこんだ。

風にゆらめくのれんの間に頭をつっこんで、部屋の中を見ると、



奥様が騎乗位でセックスの最中・・・



私に気づいたふうでもなく、
奥様はセックス続行。

背中がピンク色に染まっていたのが印象的だった。




そしてまた同じ頃、団地の裏山に通じる細い山道で、
エロ雑誌を発見。
「あそこはさびしい道だから行ったらだめよ」
と言われていたので、
「行ったらダメっていうほどさびしい道って、どんなのだろう?」
と思った私は、子分数人をつれて探索。
その頃の私は、通っていた幼稚園をクビになり、
同年齢の子どもが幼稚園に通っている時間帯に、
近所の3歳以下のチビを連れて遊び回っていた。

道ばたに無造作に落ちていたエロ雑誌の、
ちょうど開いていたページにのっていたのは、縛りプレイだった。
5歳の私は、それを見て瞬時に「これはお宝発見」と理解。
子分たちに口止めして、エロ雑誌をヤブに隠した。

これら一連の事件が、
Victoria人生最初のセックスの記憶を形づくった。




やっぱり、情操教育って大事よね・・・



・・・
西原理恵子のマンガで、
在りし日のカモちゃんがカンボジアに行ったときの話が出てきて、
ある村で、一人だけ色白の、明らかに日本人のタネと思われる子どもに出会ったっていう話で、
日本人男性がその村に泊まった時、
ちょうどその家には年頃の娘がいたので、
お父さんが「お世話になったお礼に」と言って、娘を日本人男性に差し出したらしい。

家族公認で男性はめでたくコトに及び、
その結果、娘は妊娠するんだけど、
「日本人がお父さんなら、この子はきっと賢くなるにちがいない」
と言って、村中で生まれた子どもを大事に育てているっていう話。

その話を読んだとき、
女が子どもを生むっていうのは、
元来、こういうものだったんじゃないかって思った。

子どもを生むのに、
保育園とか子育て支援のインフラはあるだろうかとか、
子育てにかかるお金は大丈夫だろうかとか、
もろもろの問題についてじっくり考えて、
OKだってことになってからGO!で子作り・・・みたいに、
計画的に妊娠する人もいるかもしれないけど、
実際には、好きな人ができて、エッチして、
結果妊娠して、
子どもができたら生むものだと思っているから生む・・・
っていうのが、自然の流れなんじゃないかなって思う。

どういう経緯にせよ、生まれてくる子どもに罪はないわけで、
どんな相手の子どもを身ごもったとしても、
女は立派に育て上げるだけの智慧を授かっている生き物なんだと思う。



最近、これら3冊の本を立て続けに読んで、思ったのは、
セックスと結婚って、きわめて相性が悪いよねっていうこと。


フィンガーセックス (ベスト新書)

フィンガーセックス (ベスト新書)

裸心 なぜ彼女たちはAV女優という生き方を選んだのか?

裸心 なぜ彼女たちはAV女優という生き方を選んだのか?

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

セックスすると子どもができるから、
誰が育てるんだって話になるので、
結婚制度はとっても大事。
特に、女にとってはなくてはならないもので、
だから、子どもができたら途端に「できちゃった婚」で籍だけは入れてしまう女が多いんだけど、
たぶん、セックスと結婚っていうのを、結びつけないほうが、
結果として、いいセックス、いい結婚につながるんじゃないかな。


例えば、私の周りの女友達で、
幸せな結婚生活を送っている人たちを見ると、
結婚してセックスライフが充実しているから幸せ・・・っていうのは、
新婚初期の短期間だけのことで、
あとは、家を建てて、子どもを生んで、
母として、主婦としての確固たる居場所を築いたからこそ幸せだっていうのが実際のところ。

女って、家と子どもがあれば、夫はなくても十分幸せになれる生き物だと思う。

子どもが生まれると、確実に夫婦間にセックスはなくなって、
いわゆるセックスレス夫婦になってしまうわけだけど、
セックスレスって、そんなに悪いことかしら?

家庭の中で中途半端にセックスがあって、
もの足りなさから欲求不満になることを考えれば、

全くないものだと開き直っている方が、
女にとっては人生がシンプルでラク

結婚して、子どもができても、ずーっと性的にアクティブで居続ける女の人というのは、
途中で絶対に夫だけでは満足できなくなって、
外へ狩りに出かけていかなきゃならないし。



たぶん、女の幸せっていうのは、
セックス抜きでも成立するもので、
逆にセックスに期待しすぎると不幸になるんじゃないかしらね。

たしかに、
「もう、このまま、死んでもいい」
と思えるくらいのぶっ飛んだセックスをすれば、
オーガズムの波に乗っている間は至福の感覚に全身を満たされているから、
「女に生まれてよかった」
って心から思うわけで、
それを「女の幸せ」というなら、セックスこそが幸せの必要条件になるわけだけど、

でも、後から振り返って見れば、
オーガズムって、結局、筋肉の収縮運動にすぎないわけで、
だから、セックスを「スポーツ」ととらえている人たちだっているわけでしょう。

たぶん、
「死んでもいい」っていうような最高のセックスっていうのは、
生涯にそう何度も経験すべきものではなく、
適当に楽しむけど、命まではかけない・・・くらいの距離感で楽しむのがベストなのかも。

若いときだったら、セックスを愛情と勘違いして、
ダメ男と結婚しちゃったり、
年とって経済力がついてからセックスに夢中になると、、
若い男に思いっきり貢いでしまったり、
女がセックスに狂うと、まずロクなことにはならない。




セックスって、魂が抜かれてしまう程度まで、徹底的にやるものではないんだろう・・・きっと。



おばあさまの世代の女性たちにとって、
セックスは「毎晩のおつとめ」に過ぎず、
それで幸せを感じるようなものではなかったので、
夫が死んで一人になると、
やっとおつとめから解放されたとほっとしたなんて話も聞いたことがあるから、
昔の女性が決して幸せだったわけではないけれど、
夜這いの話なんかを聞くと、
結婚と直結しなければ、
セックスもいいもんだなあって思う。



夫の浮気で悩むか、
あるいはセックスレスで悩むか、
どっちにしてもセックスがらみの悩みはつきもので、
人生相談が繁盛するわけだけど、

セックスと結婚を切り離して考えれば、
そういう悩みは一切なくなるわけだから、
昔の人が編み出した「夜這い」というシステムが、
いかに人間のサガにかなった完璧な発明だったかという結論に行き着く。




セックスと結婚って、とっても相性が悪いのね・・・




Victoriaでした。