堀江邦夫 原発ジプシー (1) 原発現場における被ばく量

こんにちは。Victoriaです。

原発の「安全性」「必要性」を説く「原発推進派」からの情報と、
原発の「危険性」「不要性」を訴える「原発反対派」からの情報の波にのまれ、
「素顔」が見えなくなっている原発の現状にせまるため、
著者の堀江邦夫さんが、
1978年9月28日から翌1979年4月19日まで、
美浜発電所福島第一原子力発電所敦賀発電所の三カ所で、
原発労働者として、放射能まみれになりながら、
命がけで敢行した原発ルポがある。

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録

出版されてから30年。
3.11の地震津波、そして、それに続く福島第一原発事故をうけ、
あらたに「あとがき」が加えられ、新装出版された。

再出版に際して、堀江さんは、原発現場における被ばく量の推移を調べてみた。

わかったことは、堀江さんが原発労働者として働いていた1979年ころ、
原発現場における被ばく量がピークに達していた。
その後、被ばく量はいったん下降傾向を示すが、1991年ころから再び増加に転じている。

注目すべきは、電力会社社員の被ばく量と、
それ以外のいわゆる「協力会社」と称される外部企業やそこの下請け労働者たちの被ばく量の格差である。

もともと原発内では電力会社社員の姿をほとんど見ないので、被ばく量は極めて少ないのだが、
それが、年々下がっていく。

2008年度における電力会社社員の被ばく量は、全体のわずか3パーセント。
つまり、原発内の放射線下の作業のほとんどは、非社員=下請け労働者たちにゆだねられているという事実である。

日本で最初の商業用原子炉が開始したのが1966年。
それから40年余の歳月が流れたというのに、
最先端の知識をもってしても人体への影響がよくわかっていないという放射能を、
実に大勢の下請け労働者たちが浴びせられ続けている。

今回の福島第一原発事故によって、その被ばく量が一気に増大することはまちがいない。

ちなみに、インターネットを利用してデータ収集にあたった堀江さんだが、、
事故発生後、東電のサイトにあった「原子力データライブラリー」という情報公開コーナーが根こそぎ削除されていたという信じられないような光景を目撃したらしい。

これは、30年前のルポなので、今はずっと労働環境は改善されたのかもしれない。

しかし、過酷な労働環境のもとで、多くの非社員の方たちが、
多量の放射能を浴びて働いているという事実は、おそらく変わっていないのではないだろうか。

なぜなら、
原発は、定期検査作業を考慮にいれた設計になっていない
からである。
原発では、毎年、定期検査をしなければならない。
今回の原発事故を受けて、全国の原発の稼働状況がマスコミ報道されたが、
それを見ると、かなりの数の原発が定期検査中で稼働していなかった。

堀江さんによれば、
たとえば、蓋を開けて検査をしなければならない箇所に蓋がないだけでなく、むしろ障害物が設けてあったり、
タンクの水抜きが欠かせないのに、水抜き用の装置はないので、
狭い穴の中に労働者が体をよじるようにして入り込み、バケツですくってビニール袋に入れていたり。

原発を設計する際、稼働中のことだけを考慮し、
定期検査などは二の次、三の次、労働者を使えばなんとかなるだろう・・・と考えられていたとしか思えないというのだ。

おそらく、その設計が30年たって変えられていることはないので、
労働環境も改善されないままだろうと思うのである。

本書が初めて出版された時、まだ学生だった私は、驚愕しながら読んだ記憶がある。

今回、福島第一原発事故がいまだ収束しない中で読んで、
改めてその内容のおそろしさに圧倒されたが、
今も続いている現場での作業は、
おそらくこれ以上に凄惨なのではないだろうか。




「付録」として、堀江さんからの質問があとがきの最後に添えられていた。




「1979年3月11日に私はどこにいて、どんな経験をしていたでしょうか?」




本書をめくって、該当ページを開いてみると・・・

(以下抜粋)

>>3月11日(日)
明け方の5時頃、地震で目を覚ます。
かなり長い間揺れていた。
日中は風が吹き荒れ、東北線が一時不通になった。<<



Victoriaでした。