恋と愛の境界線 (10) 恋は性の悦び、愛は生の喜び

こんにちは。Victoriaです。

さて、
先日から瀬戸内寂聴さまの本を立て続けに読んでいるVictoria・・・







今日は、
これを読みました。
タイトルは、ずばり、
「わが性と生」。

わが性と生 (新潮文庫)

わが性と生 (新潮文庫)

これは、
出家なさって瀬戸内晴美の筆名をやめ、
すべて瀬戸内寂聴名でお書きになっている寂聴さまが、








晴美さまとの往復書簡で、
性について語るというもので、







新潮45連載当時は、






『性』の粉飾決算







というタイトルで書かれていたのだとか。








う〜ん、
これって、
なかなか痛いとこついてくるタイトルかも・・・








『恋』の粉飾決算







と言ってもいいと思うけど、








恋愛に関する記憶って、
恋愛進行中の時よりも、
後から思い出す時のほうが、
何割増しかでステキになるものなんじゃないかなって気がする・・・








ホントは、
たま〜にしか彼女がイカなかったのに、







毎晩ヒイヒイ言ってもっともっとと求められ、
オレ、参っちゃったんだよね、とか、








実際は、
ほんの社交辞令で、
「あなたみたいな女性と結婚する男性は幸せでしょうね」
なんて言われただけなのに、








もうね、
それはそれは会う人がみんな私にプロポーズしてくるから、
困っちゃって、とか、









でも、
恋愛って、
いつまでも思い出して、
一回で二度も三度も楽しめるところが、
その醍醐味だと思うので、








こういう意図的な記憶の改ざんって、
やったもの勝ちかも・・・








・・・


それで、
「わが性と生」を読んで、
しみじみわかったことがあって、








恋は性の悦び、愛は生の喜び。








だから、
恋は、
まさに肉体的に愛し合っているその場限りのもので、
その場でどんなに激しく愛し合ったとしても、
それが永遠の何かを約束するものでは決してないし、










愛はあくまで人生全体に関わるものだから、
ある程度長期間にわたる人間関係を築いてこそ生まれるものだといえるんじゃないか、











恋は下半身、愛は上半身








と言ってもいいだろうし、







恋は本能、愛は知恵








とも言えるかも・・・








・・・ということで、本日の結論 :










恋愛にまつわる悩みのほとんどが、
恋に愛を求めたり、
愛に恋がないことを恨んだりすることから生じていると思う・・・









Victoriaでした。