ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (63) 会場からの質問「クビライ以後のモンゴルは世襲制になって、リーダーシップに問題はなかったのでしょうか?」

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、
会場からの質問「クビライ以後のモンゴルは世襲制になって、リーダーシップに問題はなかったのでしょうか?」
に対する出口社長のお答えをご紹介。






まず、
こちらをご覧ください。

チンギス・カン家略系図
杉山正明モンゴル帝国の興亡 下」より拝借。









「略」というところがポイントで、
以前もご紹介したように→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (25) モンゴル帝国第2代皇帝ウゲデイ(=オゴデイ、あるいはオゴタイとも読む) - Victoriaの日記










チンギス・カンは世界史上最も子孫をたくさん残した男。
現在地球上の1600万人の男性がチンギス・カンのDNAを引き継いでいる。










という説もあるくらいで、
正式な妻、愛妾などいったい何人いたか、
チンギス本人もわからないのでは・・・











・・・

話戻して、
この家系図ですが、












赤いマークをしたのが、
初代〜第5代皇帝で、











この方たちは、
みなさん、
クリルタイ」というモンゴル帝国の最高意志決定機関で選ばれている。










クビライが長期政権で、
モンゴル帝国のシステムを構築するまでは、
いつどうなってもおかしくない不安定な要素をいっぱいかかえていたので、










血筋がどうの、
正統性がどうの、というよりも、
なにはともあれ、
戦争に強いリーダーを選ぶ必要があり、












「互選」制をとっていた。











それが、
クビライ以後は、
世襲制になってしまって、












そこんとこだけ、
拡大してみましょう。

見事に、
クビライの子孫の中で、
皇帝位を回してますね。











会場からのご質問は、
世襲制で、
リーダーシップに問題はなかったのか、
という趣旨で、













出口社長のお答えは、











「選挙制が発明されるまでは、世襲制はそれなりに有効な手段だった」











リーダーを選ぶ方法は、












の二つしかなく、
それぞれ、
メリット・デメリットがあるのだが、










世襲制のメリットは、









・loyality(忠誠心)のある人が選ばれる









誰に対する忠誠心かってのが、
問題っていえば問題だけど、
近代以前は民衆は人間にカウントされてなかったわけだから、
貴族=特権階級の人間にとってということだけど、










変な野心をもって、
国を乗っ取ってやろとか、
そういう、
不確定要素を排除するという意味では、
世襲制はちゃんと機能していた。










問題は、
内輪だけで結婚くりかえしていくと、
だんだんと子どもがひ弱化していくということで、










あと、
どうしても男というのは、










美女










に目がいってしまって、










美女がアレだということでは、
決してないんですけど、










つまり、


美女=均整がとれている

均整がとれている=子孫を産むのに適した体

美女に目がいく=子孫繁栄の観点から理にかなっている


ということですから、








男がもっとも萌え〜♪になる女のスリーサイズは、








B91cm- W61cm- H91cm  の黄金比








だという統計結果もありますが→性欲の科学 (5) こんなに違う、男女の性的欲望スイッチ - Victoriaの日記
これは、
生物として正しい選択なわけで、










しまった、
話がそれた・・・










それで、
ご質問の意図は、
そうやって、
男が欲望のままに、
好みの女性を追いかけていって、
子孫を残した場合、
必ずしも優秀な跡継ぎが産まれるとは限らないんじゃないか、
そういうこと思うんだけど、










その点も、
ちゃんと考えられていて、










世襲制をとっている社会では、
奥さんを出す家を限定しているのが普通で、










お母さんの出自をはっきりさせることによって、
この人でいいか、と周りを納得させやすいし、








おとーさんが、
あまりにも、
奔放な恋愛をして、
あやしい筋から奥さんもらって、
跡継ぎが産まれると、
変なとこに外祖父がいっぱいできてしまって、










中には、
王室を乗っ取ろうとか、
よくないことを考える人が、
ゼッタイ出てくるから、











そういうことを防ぐという意味でも、
ある程度、
信頼のおける、
由緒正しき家系から正妻を迎えるということで、
乗り切ってきたということがいえる。











ただ、
本当に優秀なリーダーを欲しいと思えば、
選挙にまさるものはないわけで、
なんと言っても、
実力・業績第一主義だから、












ただ、
できるヤツというのは、
野心家なので、
そうやって連れてきたリーダーが、
何か大変なことを企んで、
王朝が転覆してしまうとかいうリスクもあり、













そんなこんなで、
近代までは、
世界中どこを見回しても、
世襲制が基本形だった。








完全ではないにしても、
それなりに人類の英知がつまった、
よくできたシステムだったというわけです。




・・・


それで、
モンゴル帝国に限っていえば、
19世紀まで、
ずーっと、
チンギス・カンの血をひいていないと、
カアンにはなれないという伝統が続いていて、









もちろん、
モンゴル帝国は早々となくなってしまったわけだけど、
中国の清王朝やロシアなどで、
チンギス・カンの子孫を名乗る人たちが、
しぶとく生き抜いていることが知られている。











モンゴルというのは、
伝統的に女が強い社会なんだけど、











特に、
母親の血統というのは、
とても大事らしく、











正妻になれるのは、
出自のはっきりしたやんごとなき女性だけ、
クビライの父親のトゥルイは、
大変聡明な女性を奥さんにもらったことで有名で、
おかげで息子は4人とも、
とても優秀。











トゥルイの奥さんというのは、
キリスト教徒で、
ある意味、異民族出身→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (33) 4人の息子を全員王様に育てあげたソルコクタニ・ベキ(トゥルイの妻) - Victoriaの日記












このように、
外から優秀な女性を迎えることによって、
子孫繁栄を担保していた。











母親の出自が大事だという好例があって、











トゥルイの正后ソルコクタニは、
クビライが産まれると、
ほぼ同時にトゥルイの子を産んだ側室に育児を託してるんだけど、












貴婦人は子育てしないのよ♪











側室が産んだ子はモゲっていうんだけど、










同じ女性のおっぱいを飲んで育ったクビライとモゲは、










乳兄弟。








乳兄弟って、
日本でも昔からあったけど、









モンゴルでは、
乳兄弟は固い絆で結ばれ、












1259年、
南宋親征中に第4代皇帝モンケが急死した時、
まっさきにクビライのもとに、
モンケ急死のニュースを届けたのは、
モゲ。












クビライの窮地を救ったのは、
モゲの密使だったわけで、












帝位継承戦争を経て、
皇帝位を奪取した後も、
あちこちで反乱が起き、
クビライは反乱軍の制圧に大変な苦労を重ねるが、












そういう時に、
信頼して頼ることができたのは、
奥さんの兄弟だったり、
異腹の兄弟だったりで、











どんな女性と結婚するかというのは、
非常に政治的な選択で、
一族の命運を握っていたといっても過言ではない。












マルコ・ポーロ一家が、
帰途、大元ウルスの使節団艦隊に乗って、
泉州からホルムズ港へ向かったことは有名で、








マルコ・ポーロと名乗る人が、
その場にいたかどうかは別として、
この時の使節団に関しては他の史書にも書かれているので、
れっきとした事実で、










この時の、
マルコ・ポーロ一行の任務は、










フレグ・ウルス王室に嫁ぐモンゴルの公女を無事送り届けること。









遠路はるばる危険を冒してでも、
やんごとなきお姫様は、
やんごとなきお家に嫁いでいたという例です。












その他にも、
遊牧社会では、









嫂婚制(そうこんせい)










といって、








子・弟・甥など目下の者が、
故人となった父・兄・おじの寡婦を引き取る








風習があり、









これは、
中華文化圏では、
人倫にもとるとされ、
モンゴル=野蛮と非難されるもととなってるんだけど、









ちなみに、
日本ではこれは昔から普通にあって、
夫が若くして死んでしまった場合、
夫の弟の奥さんになるというのは、
よく聞く話。











それで、
この制度は、
単に一夫多妻制の一環としてされていたわけではなく、










厳しい自然環境の中、
夫に死なれたら、
女が独りでは生きていけないから、
それを救済するという社会保障のシステムだったという面と、











遊牧民族の場合、









遺産=牧草地+羊とか馬とか









なので、
一般に、
財産は広い土地に、
分散している。










それを管理するには、
複数の妻妾を持って、
それぞれに管理させるのがベストで、








やっぱり、
信頼できるのは、
部下や兄弟よりも女ってことかしらね・・・???










父や兄が死んで財産を相続するとなると、
寡婦ごと引き継ぐしかなかった。









そうすると、
自然と、
女も強くならざるを得なかったんじゃないか、











だって、
男は、
年がら年中、
戦だなんだって家をあけているわけだから、
女がしっかりしてないと、
あっという間に攻め込まれて、
羊とかさらわれちゃったんじゃない・・・???












クビライ以後のモンゴル帝国には、
「女傑」と呼ばれる女がしばしば登場する。











ホント、
男は何やってたんだ?って感じの時代もあって、













世襲になって、
宮廷でだらだらと酒色にふける生活始めると、
モンゴルのカアンといえども、
男が堕落してひ弱になっていってしまうのは止められないんだろう、









そんな時、
政局を動かすのは、
ほとんど、
皇帝の母親とか祖母とかで、











男がひ弱だから女がしゃしゃり出てくるわけだけど、
実戦ふんだ女はますます強くなり、
相対的に男はますます弱くなって・・・










・・・ということで、本日の結論 :











無限に広がる大草原を駆け回り、
好きなだけ女をはべらせて子孫をどんどん残すことのできたチンギス・カンの時代は、
男にとって永遠のロマンなのかもしれません。










Victoriaでした。



・・・


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