朽ちていった命 被爆治療83日間の記録

こんにちは。Victoriaです。

1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。
本書は、核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた大内さんを懸命に助けようとする医療スタッフの闘いのドキュメントである。

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

執筆者である岩本裕さんが、NHKスペシャル被爆治療83日間の記録」を制作するにあたって、この番組を最高のものにしたいという気持ちの源泉となったのは、大内さんのご遺体の写真だという。

体の正面の皮膚がすべてなくなって真っ赤になっているにもかかわらず、背中側の半分は皮膚が残っていて真っ白で、はっきりと境界ができていた。

放射線がDNAを破壊し、体を内側から溶かしていく怖さをまざまざと見せつける一枚だった。

公開するにはあまりにもむごい写真ではあるけれで、大内さんが、放射線の怖さを多くの人に伝えて欲しいと訴えているという思いで、困難な取材を続けたと「あとがき」にある。

衝撃的だったのは、59ページに掲載されている染色体の顕微鏡写真である。

すべての染色体がばらばらに破壊され、どれが何番の染色体なのかまったく同定することができない。

その写真を見た医師は、こう語っている。
「病気が起きて、徐々に悪くなっていくのではない。
放射線被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる」

医師は、大内の染色写真を手に、
放射線というのは、なんと恐ろしいものなのだろうか」
としばし呆然としたという。


大内さんにまだ意識があって、話ができた頃、
あまりの治療のつらさに、
「おれはモルモットじゃない」
とつぶやいたこと。

全身の皮膚がはがれおち、体液がしみ出してくるため、包帯とガーゼで包まれた大内に、
面会に来た妻が、
「もうさわれるところがありませんね」
とさみしそうに言ったこと。

遺体の解剖をしたところ、身体の粘膜がすべて失われ、筋肉の細胞は繊維が失われ細胞膜しか残っていない状態だったのに、
心臓だけは放射線に破壊されず、きれいに残っていたこと。

それらは、
「いのち」って何だろう?
と、考えつづけてほしいという、大内さんからの精一杯のメッセージだろう。

皮膚がはがれおち、赤くただれた右手の写真を見ていると、
被爆治療というのは不可能なのだということを思い知らされる。

大内が死亡した際の記者会見で、治療チームの指揮を執ってきた前川教授が、
原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。
現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある立場の方々の猛省を促したい」
と述べている。

あれから10年。
大内さんが全身で訴えたメッセージは、どこで消えてしまったのだろうか。

Victoriaでした。