ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (2) 唐宋革命

こんにちは。Victoriaです。


2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「唐宋革命」。




紀元960年、
安史の乱以後200年に及ぶ混乱を収めて、
宋が中国を統一。






群雄割拠の状態を収集し、
君主独裁体制を樹立した宋の時代、
何が唐の時代と違ったのか?








出口先生によると、
それは以下の5点にまとめることができる。







  1. 政治革命
  2. 農業革命
  3. 飲茶革命
  4. 海運革命
  5. 仏教の変貌







順番に中身をみてみると、








1 政治革命








まず、
政治革命の前提となった背景を考えると、









紙と印刷技術の普及







があげられる。






隋の時代に始まった学科試験による管理任用制度は、
唐の時代を経て、
宋代に完成。








州試、省試、殿試の3段階制が確立し、
殿試の上位合格者が高級官僚に任命された。









最終試験である殿試は宮殿で行われ、
最終的に登用を決めるのは皇帝である。











つまり、
皇帝のお眼鏡にかなった者だけが任用されていくわけで、
最終面接の段階で、








「キミは優秀だね。期待してるよ。がんばってくれたまえ!」









って皇帝に言われたら、
誰だって感激して皇帝に忠誠を誓うんじゃないか・・・








ということで、
科挙試験が確立したことで、
皇帝の力はますます強くなっていった。









というより、
皇帝の力を強くするために、
科挙試験の運用を強化していったというのが真実なんだろうけど。








それで、
科挙がとんでもなく難しい試験であるということは、
特に歴史好きの人でなくても知っていると思うんだけど、










1年や2年勉強したからといって通るような生やさしいものではなく、
もともとの秀才が、
なお、10年、20年、血のにじむような努力を重ねて、
やっと通るかどうか・・・という代物だった。









受験勉強に必要なものは何かといえば、









参考書。










ここで、
やっと話が最初に戻るんだけど、
そういうわけで、
紙と印刷技術の普及があって初めて、
参考書を大量に刷ることが可能になり、
誰でも試験勉強をすることができる環境が整ったというわけである。









世の中を変える壮大な政治革命の前には技術革新あり!










フェイスブックなどのSNSの普及があってこそ、
エジプトでムバラク政権の崩壊があったのと同じ理由ね・・・










それで、
科挙制度の運用が、
なぜ、政治革命と言われるかというと、











外戚政治が終わったから。









自分の娘を皇帝に嫁がせて、
遠隔操作で国を思うがままに動かそうという、
政治の私物化が全くできなくなった。








官僚になるには難しい試験を通るしかなく、
したがって、
自分の娘を皇帝に嫁がせるどころか、
官僚の世襲といったことも、
一切できなくなったわけである。









頭の悪いやつは血筋がよくても政治の中枢にいることはできない。







紀元1000年ころの中国は、
かなり先進的だった。










同じ頃、
日本はどうだったかというと、








藤原道長がバリバリ外戚政治で牛耳っていた時代で、
中国に何百年も遅れをとっていた。









・・・ということで、ここまでの結論 :








1000年ころの中国は、
受験の鬼でないと政治の世界に入れない、
インテリ重視の競争社会だった。









2 農業革命





さて、
宋の時代になると、
ユーラシアの気候が温暖になり、
農業にも変化がみられた。









占城米(チャンパと読む)という、
ベトナムでできた早稲が揚子江でとれるようになり、
米と麦の二毛作が始まる。







単純に穀物の収穫が2倍になったわけで、
それに伴って、
人口も2倍に増加、








唐代に6000〜7000万人だった人口が、
1億人に達している。









人間は穀物を食べて生きている








ので、
人口の増減があったら、
その裏には、
必ず、
穀物の収穫高に変化があるという歴史の方程式は、
ここでも生きているわけだ。









3 飲茶革命






この時代、
お茶がとれるようになり、
みんながお茶を飲み始めた。








お茶を飲むのに必要なものは、









茶碗。









なので、
大量に茶碗が生産されはじめる。









まさに、









需要は発明の母。








陶磁器で有名なのは、









景徳鎮。









景徳鎮という都市の名前の由来は、
1004〜1007年の元号が景徳だったからで、
それくらい短期間の間に、
急速に陶磁器産業が発達したということを意味している。










景徳鎮は官制の窯があったところで、
漢代にはすでに陶磁器生産が始まっていたようだが、
宋代以降に発達し、
世界的に有名になった。










陶磁器が普及したことで、
中国料理にも変化が見られた。









中国料理は油を使った高温での加熱が特徴だが、
その料理法が完成したのがこの頃。










金属に比べて陶器は保温力が強く、
食品が冷めにくいため、
中国料理の特徴である、
ありったけの料理をこれでもかとテーブルに一斉に並べる方法がとられた。










余談だが、
フランスのコース料理というのが、
実はロシアで発明されたということをご存じだろうか。









昔の人は、
野蛮だったので、
食事は手で食べていたわけだけど、
バグダードの宮廷では、
ナイフ・フォークを使った料理を出すようになっていた。








それが、
メディチ家、フランス王家へと引き継がれ、
ロシアの宮廷へと伝わった。









サンクトペテルブルグの宮廷で話されていたのは、
フランス語で、
だからメシもフランスめしを食っていたわけである。








しかし、
ご存じのようにロシアはめちゃくちゃ寒い。









料理をあらかじめ全部作っておいて、
テーブルに全部並べるやり方では、
寒さのために料理がすぐに冷えてしまう。







冷めたメシはまずいだろ・・・ということで、
順番に料理して、
冷めないうちに出すようになって、
それがコース料理の流儀として定着したというわけである。










ヨーロッパでいい陶器が作られるようになったのはここ200年くらいの話で、
それ以前はもっぱら金属の食器を使っていたので、
冷めやすかった。









おそるべし!中国の飲茶革命!









いろんな意味で、
1000年ころの中国というのは、
世界の先進国であったわけだ。








4 海運革命






昔、
船の航海といえば、
海岸沿い100メートルくらいの近海を、
海岸線を目印にゆっくり航行するというものであった。









なので、
水深があまり深くなく、
船は小さいものが使われた。








しかし、
船の先端をたくさんの小部屋に仕切り、
少しくらい岩にぶつかるとかして穴があいても簡単には沈まないジャンク船が考案されたことにより、
航海が盛んに行われるようになる。







海岸から離れた深いところを航海するため、
羅針盤も考案された。








966年、
広州市舶司が設置される。






市舶司というのは海上貿易関係の事務を担当した官庁のことで、
早い話が税関である。







海上貿易が盛んになり、
大量の物資が入ってくるので、
税金をとったほうが得だし、









あまりにも安い商品が大量に入ってくると、
国内の物価をゆがめるので、
国内産業保護のためにも関税をかけたほうがいいだろうということである。









広州はムスリム商人が多く来航し、
北宋最大の貿易港だった。








この時代、
大量の物資を運搬するのに、
海上は陸上よりもずっと便利だったのだ。








・・・ということで、ここまでのまとめ:





ジャンク船はグローバリゼーションの牽引役。









5 仏教の変貌






唐の時代、
仏教は国家仏教だった。








皇帝は仏、
官僚は菩薩だと考えられ、
仏によって国を治めていたわけである。
(ここに至るまでの中国の仏教の歴史はPart 3の講義に詳しい→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (20) 中国で仏教が弾圧された理由 - Victoriaの日記








しかし、
紙と印刷技術の普及により、
大量のアジビラを作れるようになったため、
仏教は庶民に向けて猛烈な布教を始める。








教育のない庶民に向けて布教する時のポイントはただ一つ、








教えをシンプルにせよ!









そこで、南無阿弥陀仏が考案され、
これさえ唱えれば極楽浄土へ行けるよという浄土信仰が中国で盛んになった。








そういう単純な教えでは納得しないインテリ向けに広まったのが、
禅。







たしかに、
食うのに忙しい庶民は、
のんきに座禅してるヒマはないかも・・・










・・・ということで、本日の結論 :








唐宋革命が中国社会に与えた影響は大きく、
唐と宋の間には大きな断絶があった。







Victoriaでした。



・・・

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (1) 京都大学百周年時計台記念館 - Victoriaの日記

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 前回までの講義録はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 続編 (25) 総集編 AD元年〜500年の世界 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (34) 総集編 - Victoriaの日記
ライフネット生命 会社訪問記 - Victoriaの日記
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