ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (7) パックス・モンゴリアの到来

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「パックス・モンゴリアの到来」。

さて、
モンゴル帝国に君臨していたクビライが1294年正月に亡くなり、
同年4月、
クリルタイが開かれ、
テムルが即位、



テムル自身は、
過度の飲酒癖のため、
心身ともに弱く、
昔ながらの遊牧民族の基準からすると、
「弱将」だったらしいが、



テムルの背後には、
クビライ政権で大活躍した、
英雄バヤンがいて、
しっかりとバックアップしていた。
(バヤンについてはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (62) バヤン抜てきにみる、クビライの人心掌握術 - Victoriaの日記





しかし、
カリスマ的なリーダーがいなくなると、
組織にほころびが出るのが世の常、
1300年から、
史上最大のモンゴル会戦が繰り広げられたんだけれども→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (6) 帝王クビライ亡き後のモンゴル - Victoriaの日記




それも1303年には終わり、
1305年には、
モンゴル帝国の東西は完全に和合した。




しかし、
モンゴルの武将というのは長生きしないもので、
テムルも例外ではなく、
治世の後半は、
ほとんど紡機のため政務を執ることすらできず、
1307年、
42歳の若さで死んでしまう。




テムルには、
後継者たる男児がいなかったため、
後継問題が勃発、
登場したのが、



皇后ブルガン。




女です。




テムルの正后亡き後、
筆頭皇后の立場にあったブルガンは
ものすごい欲深い女で、
どうやら、
病に伏せっている夫テムルに代わって、
好き勝手していたらしいが、




一度味わった権力の味を、
到底手放す気にはなれず、
自分の思い通りになる人物を皇帝に仕立て上げようと、
画策する。





途中経過をはしょって、
結論だけいうと、
ブルガンの陰謀は失敗、
広くモンゴル人に好かれていた賢い武将、
カイシャンが、
第7代皇帝に即位、
一連の騒ぎはようやくおさまった。




ここらへんの人間関係の図は、
こちらをご覧ください。



カイシャンという人は、
皇后ブルガンの陰謀で、
わずか7歳で、
モンゴル帝国の西の端の辺境の地へ飛ばされ、
ちょうどモンゴル帝国内戦のまっただ中であったから、
それから8年間を、
血と汗にまみれて、
兵士たちとともに生きていた。



そういう生い立ちに対する、
同情と共感もあったし、
誰もが愛さずにはおれない、
素直で愛らしい人柄であったので、
テムル死後、
宮廷でクーデタが起こったとの知らせを聞いて、
大都から遠く離れた西の地から、
「大返し」したカイシャンを、
モンゴル高原の牧民たちは、
熱狂して迎えたという。




というようないきさつがあり、
雨降って地固まる、
クビライの治世からある程度の時間が経過し、
ちょうどそろそろ落ち着く時期に来ていたということと、
カイシャンという、
武将としての資質にもめぐまれ、
皇帝としても申し分ない出自と、
誰からも愛されるおおらかな性格の持ち主の登場で、





パックス・モンゴリア




と呼ばれる、
世界規模の平和がもたらされた。





だけど、
それは長くは続かないのよ・・・




あっという間に、
モンゴル帝国が瓦解していくいきさつについては、
次回から・・・





Victoriaでした。

ライフネット生命