ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (14) 1333年 建武の新政はなぜ起こったか?

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1333年 建武の新政はなぜ起こったか?」。



さて、
中央アジアでペストが発生して、
これからどんどん人が死んでいくという大混乱の最中、
日本はどうなっていたかというと、





1333年、建武の新政 by 後醍醐天皇





今回は、
この極めてドメスティックな日本の政権交代が、
モンゴルに端を発した事件であったというお話。





まず最初に確認しておきたいことは、





戦争=ゼニ。





戦争というのは、
今も昔もお金のかかるもので、





国をあげての戦となれば、
王様は、
国民から税金をむしりとらねばならず、
その大義名分をいかにうまくねつ造するかというところに、
王様の手腕が発揮されるわけですが、






モンゴルから元寇が襲ってきて、
アワ食った鎌倉幕府は、
全国から九州へ武士を派遣して、
海岸警備を強固にするなどして、
国難を乗り切ったまではよかったんだけど、






がんばった人たちにあげるほうびがない!!!







日本人同士で、
領土のぶんどり合戦したんだったら、
負けた者の土地を取り上げて、
勝った者にあげればいいんだけど、






今回は、
外国から攻めて来たのを守っただけで、
鎌倉幕府としては、
何も得たものがない、






そうすると、
当然、
不満が出るわけです、






なんだよ、
こんなボスについて行っても、
な〜んもいいことないじゃないか・・・






・・・ということで、本日の結論 :






人心掌握の要は、
昔も今も、
ゼニばらまいてナンボ・・・







ばらまくほうびの原資がなかった鎌倉幕府は、
一気に弱体化していきます。






・・・


さて、
ここで目をモンゴルに向けると、






モンゴル帝国のマネーサプライは、
銀+紙幣が基本→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (49) 銀は世界をめぐる - Victoriaの日記





宋の時代に中国で使っていた銅銭は、
使い道がなく、
大量に余ってしまって、
使い道に困っていたところ、






ベトナムや日本では、
引き続き、
銅銭を使っていたので、






そうだ!
日本に銅銭を売りつけよう!







ということで、
大量の銅銭が、
日本へと入ってくることに・・・






なんか、
銅銭を売るってどうよ?って感じなんだけど、







だって、
銅銭ってお金でしょ?





お金も売り物になるのね・・・






そんなこんなで、
中国のゼニのお古が大量に流れ込んできた日本は、
一気に景気がよくなり、





銅銭を使った商売が、
盛んになる。





そうすると、
鎌倉幕府に仕えている、
いわば、
「正統的な」お侍さんたちというのは、
お金を持ってないのに対し、






商売やって、
うまくかせいだ者たち、





いわば、
一種の「悪党」どもが、
のし上がってくることとなる。






その代表格が、
楠木正成






なんだよ?
幕府の守護・地頭なんて、
いばってるけど、
全然ゼニ持ってないじゃないか、






オレらの方が、
ずっとずっと実力は上だぜ!







ということで、
宋が破れてモンゴル帝国になったために、
行き所がなくて困っていた宋銭を手にした日本の悪党どもが、







「もっと自由な社会をめざそうぜ!」






という旗印のもと、
手を結んだのが、







後醍醐天皇






彼らは、
今の幕府(=鎌倉幕府)を倒そうという一点のみで、
一致していたに過ぎず、






実は、
目指すところは全然ちがう。






後醍醐天皇なんて、






鎌倉幕府を倒してそれ以前の体制に戻そう!






というのが本音だから、
自由な社会なんてとんでもない、







ということで、
鎌倉幕府を滅ぼすところまでは、
手を結んでいたんだけれども、






すぐに仲間割れしてしまい、
建武の新政はたった3年で崩壊、






足利尊氏が、
室町幕府を開くというところに、
話はつながっていきます。






足利尊氏を補佐した執事が、
高師直(こうのもろなお)。






彼は、
「王や院は、
必要なら木彫りや金の像で作り、
生きているそれは流してしまえ」
と発言したとされる現実主義者で、





南朝側の楠木正成と、
ガチンコ勝負した時のエピソードに、






楠木正成の軍が奇襲攻撃をかけてきた時、
たまたま家臣が高師直の陣をたずねてきていて、
ただ彼は鎧を持ってなかったので、
高師直の鎧を借りようとしたところ、
「ワシに代わって戦ってくれようという人間に、
鎧のひとつを惜しむことはないぞ」
と言って貸してやったところ、
この家来が師直の身代わりとなって討ち死にした。






というのがあって、
なかなかに太っ腹な男だったようである。






また、
ある女性(人妻)に恋をして、
恋文を人に書かせたっていうんだけど、






徒然草吉田兼好に恋文の代筆させたらしい・・・(事実)






兼好法師って、
恋文代筆のバイトしてたの???







う〜ん、
歴史というのは、
ホント、
奥が深いです・・・







ということで、
本日の講義のまとめ:






足利尊氏室町幕府を開くことができた理由>

  1. 鎌倉幕府がモンゴルとの戦いで疲弊し弱体化した
  2. 中国で余った宋銭がドンドン日本に流れ込んできて潤沢なマネーサプライを作り出した





Victoriaでした。

ライフネット生命